熊本旅

長谷川泰子

 

 連休を利用してスタッフと一緒に熊本に行きました。前室長の西村洲衞男先生の足跡をたどる旅でした。

 相談室を引き継いだ後にホームページを新たに作り直しました。その際、旧ホームページにあった西村先生のブログや新たに見つかった文章などを今のホームページに掲載する作業をしました。改めて西村先生が故郷・熊本について書かれている文章を読み返し、熊本に行って先生のご実家のあった辺りや先生の通われた高校、大学を一度見てみたいとスタッフと話をしていたのです。コロナの影響もあってなかなか実現できませんでしたが、今回やっと、皆で訪れることができました。

 先生のご実家があったところ(今はもうご親族の方は誰も残っておらず、別の方の所有する土地となっています)は、熊本駅から歩いていけるぐらいの距離にあります。九州新幹線が開通し、熊本駅が新しくなり、駅周辺は大きく変わったようです。ただ、先生のご実家のあたりはあまり変わっていないのではないかと思いました。

 車は入れない細い路地を進んで行くと西村先生のご実家があった場所があります。今もその場所に家がありますが、建て替わったものでしょう。ただ門は、昔からのもののようにも見えました。

 かつてのご実家の周辺は狭い道ばかりで、昭和がそのまま残されているような、どこか懐かしい雰囲気のある場所でした。

 

 西村先生のご自宅のすぐ近くに花岡山があります。花岡山については「故郷へのお手紙」で詳しく語られていますので、ぜひお読みください。また最近掲載した「藤井日達と夢 講義録」で取り上げられている藤井日達上人が、昭和29年にインドのネルー首相(当時)より贈られた仏舎利を納めるためにこの花岡山の頂上に仏舎利塔を建立しています。とても大きく立派な塔で、熊本駅の正面からも(建物が邪魔して全ては見えませんが)塔の上部を見ることができます。仏舎利塔は西村先生がまだ熊本にいた時に完成しているようで、おそらく先生もこの仏舎利塔を毎日のように見ていたに違いありません。

 仏舎利塔の近くに立つ藤井日達上人の銅像です。

 仏舎利塔の由来が書かれています。

 塔には仏教に関する絵が彫られた石版がいくつか埋め込まれています。「臨床心理士の連帯の意義 法華経地涌品に学ぶ」でも触れられている「この娑婆世界はあたり一面に亀裂が生じて割れ、その裂け目から、無数の菩薩が現れ出てきた」という場面の石版もありました。

 

 ご家族によれば、かつてこの花岡山には西村家代々のお墓もあったそうです(今はすでに墓じまいされたとのことです)。

 仏舎利塔からすこし歩いたところに八枚板と呼ばれる大きな岩があります。「故郷へのお手紙」には一枚板、と書かれていますが、おそらくここのことでしょう。

 私たちが訪れた日はあいにく朝から激しい雨で“手紙”にあるように金峰山を見ることはできませんでしたが、晴れていれば熊本市や周りの山々を見渡すことができる、とても良い場所です。

  花岡山の頂上からは「たましいの根づきと工場」というブログでも触れられている白川を見下ろすこともできます。

 西村先生が通った済々黌高校、熊本大学にも行きました。

 

 

 高校時代の思い出に関しては「幼い時の思い出」という文章が残されています。

 高校の正門のすぐ近くに大正2年にインドから持ち帰られて寄贈されたという、大きなヒマラヤ杉がありました。西村先生が高校生だったときにもここにあった木でしょう。

 

 熊本大学の“赤門”と呼ばれている門です。明治時代に作られたもので、重要文化財に登録されているそうです。西村先生ははじめ熊本大学の教育学部で数学を勉強され、その後京都大学の大学院で臨床心理学を学ばれました。この赤門を通って奥まで行くと教育学部があります。

 レンガ造りの建物も残っていて、昔の雰囲気を感じ取ることができます。

 明治の末、熊本大学が第五高等学校と呼ばれていた時にここに赴任した夏目漱石の銅像もあります。

 強い雨が降る一日で大変な思いもしましたが、一般的な観光地には目もくれずにマニアックなところばかり訪れる自分たちを笑いながらも、満足感、あるいは達成感のようなものを得ることのできた不思議な旅でした。

 

 

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