故郷へのお手紙

西村洲衞男先生の一周忌を迎えました。

 

西村先生の未公開エッセイをを探しているところに、2018年6月17日付の熊本市役所観光課様宛てに書かれたお手紙が見つかりました。エッセイとは違いますが、先生の故郷への強い想いを感じます。いつか花岡山を訪ねてみたいものです。

みなさんにも御一読頂きたく、掲載することとなりました。

 

 

 2018/06/17

熊本市市役所 観光課 御中

拝啓

梅雨に入り熊本は楠の若葉が重たく茂っていることと推察いたします。

私は現在81歳、愛知県で暮らしていますが、大学を卒業するまで、自然公園の南側、横手町北岡に住んでいました。終戦後、日蓮宗の藤井日達上人が花岡山に仏舎利塔第一号を作られましたが、毎日朝夕山から団扇太鼓を叩いて街に托鉢の行脚に出られ、その団扇太鼓の音を聞いて育ちました。幼いときは工兵坂までセミ捕りに出かけ、高学年になって頂上の一枚岩と呼ばれるところまで行き、そこから北西にそびえる金峰山の雄大な景色を眺めて感嘆した記憶があり、そこへは何度か出かけました。

一枚岩は金峰山に向かって突き出ており、その下は切れて崖になり細い竹の藪になっていました。一枚岩の上に立って北を見るとき遮るものがなく、下に広がる戸坂や池上の、その頃は田園地帯の美しい景色が広がり、その向こうに聳える金峰山や石神山の景色は心打つものがありました。

熊本を離れ結婚して花岡山を訪ね、その一枚岩からの景色を家内に見せようと行って見ますと、仏舎利塔は古いものは崩れ去り新しくなって、その奥には昔下にあった妙法寺が建っていて、その一枚岩は建物に隠れていました。もしかしたら寺の建物を建設するために壊されてしまったかもしれないと、残念な気持ちで帰ってきました。

それから数十年経って、最近夏目漱石の本を読み返す必要があって、『我が輩は猫である』を読んでいたら「一枚岩」の記述に出会ったのです。漱石全集第一巻521頁から一枚岩での不思議な経験が書いてあります。

寒月君がヴァイオリンをやっとの思いで購入し、真夜中に細川家の墓所(今は自然公園)の横を通り、(地獄坂を登るといつも湿って滑りやすい急な坂道だから)工兵坂を楽々と登り、山の頂上の平らなところに登って、一枚岩にやってきて毛布を広げそこに座ります。

「二十分程茫然として居るうちに何だか水晶で造った御殿のなかに、たった一人住んでいる様な気になった。しかも其一人住んでいる僕のからだが-いやからだ許りぢじゃない、心も魂も悉く寒天か何かで製造された如く不思議に透き徹って仕舞って、自分が水晶の御殿の中に居るのだか、自分の腹の中に水晶の御殿があるのだかわからなくなって・・・・・」

この部分は漱石の精神的な深い体験としてかなりの人が注目しているようです。

全集の注によると庚申山は立田山になっていますが、地獄坂より楽な工兵坂を楽々と登って花岡山の頂上の一枚岩に至った経験が元になって居るのでは無いかと考えました。

 

花岡山の頂上から、特に一枚岩から見た金峰山の景色は素晴らしいと思います。漱石が住んだ家だけでなく精神的に深い経験をした場所も観光資源として活用して頂きたいと思ってこの手紙を書きました。

長い文章をお読みいただきありがとうございました。

故郷のお役に立てたら幸いです。熊本の復興を祈ります。

                                     敬具

 

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