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空白から生まれる

長谷川泰子

 

 少し前に新聞に掲載されていた最相葉月さんのエッセイを読んだ。最相さんは「絶対音感」「セラピスト」などの著書があるノンフィクションライターである。1年ぐらい前に「証し 日本のキリスト者」という日本人クリスチャンにインタビューした分厚い本が出て、すぐに手に入れてあっという間に読んでしまっていたので、その短いエッセイも興味深く読んだ。

 ノンフィクションライターという仕事柄インタビューの機会が多く、生成AIを内蔵したボイスレコーダーを使うようになったのだという。会話を録音し、文字起こしまでしてくれる「優秀な秘書」なのだそうだが、使ってみるといくつか問題点もあるらしい。例えば無音の時間、沈黙が続く時に、同じ言葉やフレーズを予測して勝手に変換してしまうようなミスが生じるのだという。また、間投詞と呼ばれる「えーっと」「あー」などの意味を持たない言葉を勝手に削除してしまうこともあるらしい。最相さんは沈黙や間を理解しないことを現在のAIの大きな欠点として挙げていたが、確かに、インタビュアー質問に即座に答えて話されたのか、「えーっと」という言葉の後にしばし沈黙が続いた後に話されのか、同じことを話したとしていても、ニュアンス、話の重みは全く異なる。

 会話において沈黙はただ言葉が何もない無の時間ではない。言葉がないこと、言葉が出ないこと、語られないこと、言葉の空白にこそ、むしろ大きな意味がある。時には言葉を尽くした長い説明よりも、沈黙にこそその人の思いが全て詰め込まれていることがある。

 

 たまに、びっしりと隙間なくおもちゃを置いた箱庭に出会うことがある。ぎゅうぎゅうで余分なスペースが全くない。きっと心の中もいろいろな思いが詰め込まれてぎゅうぎゅうになって、身動きが取れないような状態になっているのだろう。見ているこちらも息苦しいような思いになってくる。ぎゅうぎゅうさが少し整理されてくると、だんだんと、ゆっくりではあるけれど、隙間が生まれて身動きが取れるようになってくる。ひと息つけるような余裕が生まれてくる。周りを見渡して、ゆっくり考えることもできるようになる。はじめは、埋め尽くされていたスペースが空いてぽっかりと穴が開いたような感じになるかもしれない。どうしたらいいのか分からなくなるかもしれない。しかしそこでゆっくりと待っていると今までなかったもの、新しいものが生まれてくることがある。

 

隙間や空白はただのゼロではない。無駄なものでもない。何もないところにこそ、何かが生まれてくるものだ。

 

 

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