ポアンカレ法

 「ポアンカレ法」というタイトルで保存されていた文章です。最終更新日は2009年6月26日です。ブログ用の文章だと思われますが、旧HPには見当たらず、書かれたものの掲載を忘れていたものかもしれません。西村先生は大学では数学を専攻されました。他に数学に関するエッセイとして「心の問題の解決法 フェルマーの最終定理を読んで」(2016年8月)という文章もあります。こちらもぜひお読みください。

 

 

 

ポアンカレ法

西村 洲衞男

 

 ポアンカレ予想がグレゴリー・ペレルマンによって証明されたというニュースが一昨年NHKテレビで放映され、最近再放送された。この再放送を見て昔読んだアンリ・ポアンカレの『科学と方法』を久しぶりに読んだ。このなかに数学上の発見がいかに行われるかの記述が強く印象に残っていたからである。本書のほとんどは私の理解を超えるが、「数学上の発見」と「偶然」についての部分は、著者も述べているように心理学に役に立つものである。

 1908年に出版された『科学と方法』には、「無意識的な自我は意識的な自我よりも賢い」と書いてある。

 フロイトの『夢判断』が出版されたのは1900年であるから、ポアンカレはフロイトとほぼ同時代の人である。フロイトは無意識を意識から排除された心的内容が蓄積されたものと考え、無意識の願望がときとして顔を出し意識の生活を混乱させると考えた。私たちはこの考えをずっと継承し今も変わることがない。

 フロイトと同じ時代に生きた数学者ポアンカレは自己の数学上の発見の心理的過程を内省し、無意識的な自我は意識的な自我より賢いという説を唱えた。この発見は、ポアンカレ予想という数学の問題同様評価されてしかるべきだと思う。

 ユング派のマイヤーの「夢見ることは治ることである」という説や「遊べば治る」という遊戯療法の考え方、箱庭療法の根底にある箱庭制作によって心が整えられていくという考えと同じである。無意識から何らかのイメージが出てきて当面する問題の解決がもたらされるというだから、無意識は意識より賢いということになる。フロイトとまったく異なった考え方であることに注目したい。

 「インスピレーションはいつも突然、簡潔な形でやってきた。しかも、いつも確実であった」とポアンカレは言っている。数学上の発見は、ある問題を考え、いろいろな組み合わせを試みているとそのうちにあるひらめきがあってそれを論理的に証明していくとできあがるという。あるいは、いろいろな組み合わせを考えて何も有効なものを見つけられないで、しばらく問題を離れ、しばらく遊びに出たとき、あるときは兵役に出ていたときに思いついて、それを後で論理的に証明すると出来上がったというのである。

 問題を考え続けてもなかなか解決されないので、意識的な思考を止めてしばらくしていると、それについて無意識の方が働き続け、ついには解答を出してくるのである。その解答は論理的に証明すると、実に美しい整った解答を出してくるのである。

 河合隼雄先生もクライエントはたいていこちらが考える以上の良い解答を出してくると言っておられた。河合隼雄先生はクライエントの話を聞きながらクライエントが当面する問題にはどのような解決があるだろうかと一緒に考え続けられた。そしてクライエントが出してくる解決法が一番素晴らしいと感じておられたのである。これはポアンカレの態度と同じである。河合先生は数学科出身でありポアンカレの『科学と方法』は読んでいられたはずである。しかし、自分の方法はポアンカレの発見の方法と同じであるとは決して言われなかった。もし、それを言うと数学に嫌悪感の強い臨床心理士は先生に対して反発を感じてしまうと思っておられたと思う。

 しかし、今私は河合隼雄先生の心理療法をポアンカレ法と名づけた。

 クライエントが置かれている状況、当面する問題などを詳しくありのまま評価し、分析する。問題の状況にいやいや生きているクライエントを徐々に問題に直面するように勇気づけることが面接の第一段階である。クライエントが問題状況に主体的に生きて行こうとするとき何らかの解決が突然に、簡潔な形でやってきて、確実な解決につながるのではないかと期待する。これがポアンカレ法である。

 そこで私は夢分析や箱庭制作を行ってクライエントが現在当面する問題を明らかにする作業を行い、次の進展は次回の夢や箱庭に待つことにしている。クライエントにも意識的にあまり思い悩むなと言っておく。解決は心の底からやってくるから心配しないで良いという。その回の分析によって明らかにした問題の解答が次の回に少し出てきて前進する。もし問題の分析が不適切であれば無意識の心は反応しないし、夢も箱庭制作もうまくいかない。謙虚に適切な問題分析を行いうと夢や箱庭が答えを出してくれて前進する。その少しずつの前進の積み重ねで問題状況が改善されていくのではないかと期待して面接している。これが新しいポアンカレ法である。

 これは来談者中心療法とも精神分析とも従来の自然な箱庭療法とも違う方法で、意識的自我と無意識的自我の対話法ともいえる新しい心理療法ではないだろうか。

 

 

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