ソウルセミナー 資料

 「箱庭療法 ソウルセミナー」のタイトルで保存されていた資料です。最終更新日は2016年8月となっています。

 西村先生は箱庭療法の指導のため何度か韓国に行かれ、また韓国の方々も数回檀渓心理相談室にお越しになりました。韓国の方が檀渓に来られた時には、西村先生が食事を作ってもてなされたと聞いています。

 

 

箱庭療法-ソウル・セミナー

西村洲衛男

 

1 箱庭療法とは

 箱庭療法とは、砂を入れた箱の中にミニチュア玩具を並べて好きな情景を作って遊ぶ心理療法の技法である。子どもから老人までできる空想遊びである。

砂箱の大きさは、箱庭を作るとき視野に全部収めることのできるくらいの大きさが良い。

 箱の形は横長で安定感のあるものが良い。縦横の比は黄金分割に近い。

 ミニチュア玩具は、治療者が自分の好みで集める。

 治療者が集めたミニチュア玩具は、そのまま治療者の人格を表している。因みに、河合隼雄編著『箱庭療法入門』に示してある玩具は西村が集めたもので、その並べ方も含めて西村の性格を表している。

 ミニチュア玩具を並べる棚も西村の指示で作らせたものである。プレイルームが広ければ、棚は上下の幅を広げ奥行きを深くしたほうがよい。今まで見た中では、明治大学の臨床心理相談室のものが最も良い。

 箱庭を作る際に、河合隼雄は治療者が立ち会うことが必要であると述べている。そのために、そばに居て見ているとき「どのように見ていると良いのか」と問う人がある。

 実際、治療者は箱庭制作に立ち会うけれども、制作過程は見ない方が良い。「出来上がったら見せてください」という教示で良い。

 出来上がったら、箱庭についての説明をしてもらう。コメントはできるだけ差し控えるが、作った人から聞かれた場合には、次に作るとき影響しないようにコメントをする。

 箱庭制作は、できるだけ何回も行ったほうが良い。遊戯療法や夢分析と同じで、回を重ねると、内的な心が変化していく。

 

2 箱庭療法の歴史

 1939年にローエンフェルト(Lowenfelt M.)は世界技法を発表した。彼女は小児科医で子どもの心理療法をロンドンで行っていて、子どもの遊びの記録に、砂箱にミニチュア玩具を並べたものに「世界」という記録が出てきていたので「世界技法」と名づけて発表した。

 その頃精神分析が流行っていたので、転移や象徴解釈が不要な技法として発表した。

 その発表を聞いたユングは後にカルフ(Kalff D.)にロンドンでローエンフェルトに世界技法を学んで来るように指示した。1966年Sand Spielを発表した。

 河合隼雄はスイス留学中カルフのところで箱庭療法を経験し、帰国してすぐに天理大学や児童養護施設でSand Spielを試みた。その後京都市カウンセリング・センターで取り入れ、その研究成果が、『京都市カウンセリング・センター研究紀要』第2号(1967)に発表され、それが発展して『箱庭療法入門』として1969年に出版され、日本に、そして世界に広まって行った。

 『箱庭療法入門』には、凡そ全てのものが出ており、それ以上の発展は少ないと河合隼雄はもらしたことがある。

 カルフは、事例発表で箱庭に使われたものについて、一つ一つ象徴解釈を行った。そのために、多くの人が象徴解釈をしたがるけれども、河合隼雄はそれをしなかった。箱庭を全体として眺め、シリーズとして見た。後に「心は物語によって捉えられる」と考えるようになった。箱庭を見るとき、その中にどのような物語ができるか考えると、クライアントの心理がわかる。

 最初京都で箱庭療法にかかわった人々はすべてマンダラを作った。私はゾウとバイソンのお相撲の場面を多くの人や動物が見ているところを作った。それは今対話的箱庭療法として実現している。(私の対話はお相撲のような対話である。河合の対話は瞑想的対話と云ってもよいのではないか。)

 それ以後私は箱庭を作ることができなかった。それは何故か疑問だったが、最近、私が知的合理的なカタトニータイプで、非合理的空想的なところが少ないためではないかと思うようになった。(統合失調症=Schizophreniaは緊張型と妄想型に分けられ、緊張型=カタトニアが知的合理的性格で感情を抑圧し、妄想型が非合理的空想的性格である)。非合理的感情的な人はノリがよく、気軽に箱庭を作ることができると思う。

 

3 最近の箱庭療法の発展

 2016年大住誠は新瞑想箱庭療法を発表する。これは森田療法の最初の段階、1週間の絶対臥褥(只寝ているだけで何もしない)に代えて、2週間おきに箱庭療法を行い、中心をもったマンダラ的な作品が出てきたところで箱庭制作を中止し、現実生活に目を向けさせ、日記で精神生活を指導する方法である。

 これを行う人は先ず森田正馬(もりたまさたか)の森田療法の本を読んでもらいたい。

 大住誠は面接の始の15分瞑想して面接し、それから箱庭制作に移り、その間箱庭に背を向けて瞑想し、箱庭ができたら説明を受け、コメントは一切しない。時間が余ったら終わりまで再び瞑想する。瞑想中は、自分の連想内容のみを記録し、クライアントの発言や行動は、原則記録しない。

 この瞑想を徹底して行う面接を一日続けていると、一日の終わりには死ぬほどの疲れの中に沈み、回復のために苦労する。

 河合隼雄も同じようなことを告白している。(『ユング心理学と仏教』1995岩波書店)

 西村は最近できるだけ夢分析と平行して箱庭を作らせている。できるだけ率直に意見を述べて、対話的に夢分析や箱庭療法を行っている。私は、箱庭は作らないけれど、夢日記は毎日つけるようにしている。夜中に見た夢は書きつけると、そのあとよく眠れる。夢を見ていたのに記憶に残らないことが少なくない。そのときは目覚めてすぐに思い浮かんだことを大切にしている。

 クライアントは夢と箱庭によって自分の内面の過程に触れ、自分の生きる道を辿って行く。そしていると現実世界での出会いが良くなり、それによって新たな生活が啓かれて行くように感じている。自分に取って良い出会いをするので、幸せになるのである。

 治療者が自分の内面との対話を深めると、クライアントも自分の内面との対話を深め、そして、治療者とクライアントがお互いに率直に話し合っていると、クライアントも外で率直に人と話し合うようになる。本当のことについての率直な話し合いが転移するのである。

 この転移は、精神分析の転移でなく、学習理論でいう転移である。

 夢や箱庭に則っていると幸せな出会いをして結婚し、幸せな家庭ができます。

 

4 対話的心理療法

 私は河合隼雄と同様に夢や箱庭によって内的な深い心のプロセスにかかわるようにしている。河合隼雄と違うところは、河合隼雄よりももっと積極的に、クライアントが当面している問題を明らかにし、それをクライアントに伝え、クライアントが理解させるところである。瞑想はせず、もっぱらクライアントの問題の真実探しにエネルギーを注ぐ。そうしていると、クライアントの無意識の心、たましいが働き出し、たましいの導きに従って生きるようになる。たましいとは夢や箱庭に現れるイメージ出てくるところで、無意識の中にある。無意識というと、心理学ではおよそネガティブなものと見做されているので、たましいという言葉を使うことにする。

 無意識の言葉や行為にこそ本当のことが現れる。そのことは普通の人が認めていることではなかろうか。あまり考えることなく箱庭を作ると無意識の心が現れ易い。面接時間があと10分あるから箱庭を作ってくださいという。10分では考える間もない。考えること無しに作るのが良い。

 その場で思ったことを率直に言うようにする。そうすると会話も活き活きとしてくる。それが対話的心理療法の一面である。

 

5 問題の解決は無意識から出てくる-ポアンカレ法

 無意識は良くないものであると考えるのは精神分析学だけではないか。他の領域、数学や文学、芸術もお笑いもすべて無意識からのアイデアを頼みとしている。特に、数学者はそのことをはっきりと言っている。ここに数学を持ち出したが、河合も西村も学部で数学を学んだ。その数学は心の中から出来上がってくる、心理的な生産物の一つであることはあまり知られていない。数は現実には存在しない。心の中にだけあるものです。それは極めて合理的な世界観を持ち、現代のITの世界もそれによって形作られている。

 300年ほど証明されなかったフェルマーの最終定理を証明したアンドルー・ワイルズの言葉をサイモン・シンは次のように紹介している。

 「長時間とてつもない集中力で問題向かい、ただ、それだけを考える。それから集中力を解くと、ふわっとしたリラックスした瞬間が現れ、潜在意識が働いて、新しい洞察がえられる。」

 これと同じことを、数学者ポアンカレは『科学と方法』(岩波書店)の中で言っている。1908年のことで、「意識は無意識より賢い」と云ったが、心理学者はフロイトの方を向いて、誰もその言葉に関心を示さなかった。

 しかし今、私はクライアントに、「あなたの本当の問題に向かい合ってしっかり悩み考えなさい。きっと良い出会いをして、道が開けます」と云っている。自分の問題にしっかり向かい合うために、夢を記録して報告し、箱庭を作り続けなさい。続けていると、きっと良い出会いがあります。これが対話的心理療法の基本的な考え方です。

 

6 箱庭は心の世界、心の宇宙である

 ローエンフェルトは箱庭にできた情景に「世界」と名付け、カルフは「砂遊び」、河合は「箱庭」と呼んだ。

 箱庭には何が現れるのかと考えたとき、クライアントから見た心の世界が現れている。それは心の宇宙と云っても良いものだ。

 箱庭は私たち日本人にとって箱庭遊びであり、そこに宇宙があるとは考えにくい。そういう連想は箱庭では働きにくい。京都のお寺の庭と云えば、みんながそこには心の世界、心の宇宙があると考える。箱庭は、個人がその場で作った思い付きの作品でしかない。しかし、その個人にとっては掛け替えのない心の宇宙である。

だから、箱庭療法もローエンフェルトに返って、世界技法と考えたほうが良いかもしれない。

 今では箱庭療法は世間に広がり、すでに独り歩きする存在になった。最近では、子どもが友達と話ができないから、話ができるように箱庭療法をしてくださいという人まで現れた。箱庭療法が何か理解されないまま、世間に受け入れられている。

 箱庭にはその人の世界観が現れる。心の世界に自分を位置づけ、世界観をより豊かに、統一性のあるものにするために役に立つということを知ってもらいたい。箱庭療法のわきに世界技法という、よりぴったりした名前を付しておきたい思いである。

 

 

 

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