闘病記

20191002 幼少期から思い出の自分への手紙

私の病気を発表して、面接を中断せざるを得なかった方に、夢の記録の継続と幼少期の嫌な思い出、人に言えないような思い出を書くことを自分への手紙として書いてくださいとお願いしました。

しかし、入院しているうちに少し考えが変わりました。夢の記録はそのままですが、幼少期の記憶は嫌な、恥ずかしいことばかりでなく、幼少期に興味を持っていたこと目についたこと、忘れられないで残っていることはみんな書いてください。私はどうも幼少期の良い体験を見落としていました。実はその方がもっと大切なことかもしれません。それは自分の興味の方向や関心の向け方を決定づけているかもしれないのです。大人の自分を支える幼少期の体験と言えるものだと思います。

般若心経は今目の前にあるもの見るも聞くものその因果関係も自分にとっては何も関係ないけれど、過去の経験の真実は虚しくないというのです。過去の経験の真実と言えば、これまでの人生で経験したことのすべてですが、中でも幼少期経験、忘れられない経験が自分を方向付け形作っているのだろうと思います。過去の経験の真実は自分自身にとって虚しくない、それこそ自分の心の基礎なのです。皆さん自分の心の底をしっかり見てください。

 

20191002 病状報告

昨日入院早々ある人にメールの返信を書いているときに、喉から出た痰を吐こうとしてそれが気道の方に入って窒息死しそうになった。いくら吐こうとしても出てこない。とっさに看護師に非常連絡、みんな即座に駆けつけてくれたが、どうにもならず、すぐ前が処置室なので咳き込んだまま苦しい状態で車椅子に載せられ移動し、医師が内視鏡を入れて鼻から息をしてと言われ、鼻から息をしたらスーッと通った。これで助かると思った。後で主治医の説明では、もう喉が通らなくなっているので飲み込むのはむつかしいと言われた。そうすると9日まで出てくる唾も全て口から出さねばならない。これが今の私の苦しみ。一晩眠れずに考えたことは、おむつを枕に当てて寝ることである。病院のコンビニは朝7時ならないと開かない。朝一番に早速買ってきたから今日からは問題ないのではないかと思う。ご安心ください。

20200217 闘病記

処方された薬の中にカロナールという薬が入っている。この薬は痛み止めで、麻酔薬である。この薬を飲むと、いつも麻酔がかかっている状態になる。ぼんやり居ている。まさに病人である。この薬を服用する間は、ぼんやりして病人モードであるから、闘病生活と言って良いと思う。でも、そろそろ病人モードh辞めたい。来週からダンケに出て普通の面接モードに帰ろうとおもいます。だから、闘病記もこれで終わりです。

20200209 闘病記

数えてみると、退院してまだ2週間も経っていない。40回も放射線治療を受けて身体には可なせりのダメージがあるはずだが、家に居てのんびりしていると苦しさを忘れている。しかし、口が乾いて歯磨きをすると、粘膜がおかしくなって口の中がおかしいことに気づく。こういう状態はこれからもかなり続く。放射線治療40回の後遺症から抜けるまでどのくらいかかるのだろうか。とにかく当分は病人である。病人だから今までやっていた箱庭の研究会も私は退くことにした。

今日行われた研究会の案内には私の名前も入っていたのだが、私への案内状は来なかった。私があたかも出席するような案内状になっているのに、私へ案内状が来ないのはどうしても理不尽である。社会的礼儀がないだから長年やってきた東海箱庭研究会を退くことにした。主催者が自分でやりたいのだから、自分の名前でやるべきだと思う。

皆さんは理解してくださると思います。

しかし、体力が付いたらダンケでの面接は早く復活したいと思っている。

20200203 闘病記

先週末放射線治療を終わって退院したら、すっかり病人モードで無くなって、闘病記を書くのを忘れてしまった。時々檀渓心理相談室のブログをご覧になって更新されていないので皆さんをがっかりさせてすみません。

家に帰っても闘病は続いています。病人モードは変わりません。味覚は失ったまま、胃と口は直結してありますが、ゴックンと飲み込むことはできないのであまり役に立っていません。未だに味覚はなく、冷たいものもすっぱいものも食べていません。味覚のない世界に生きるのは虚しいことですが、生きていることをありがたいと思わねばならないと自分に言い聞かせています。毎日エンシュアという栄養剤を一日4缶間をおいて飲み栄養を補給しています。もう83歳ですから後4~5年生きられたら良いのではないかという主治医の言葉に支えられています。

主治医は食べる以外に楽しみを見つけなさいという方針です。

先週土曜日にダンケに行ったら私の部屋に入りきらない本が沢山あって、その始末をどうするか思案して困りました。部屋が狭いので古本で出す以外にありません。でも、どこまで捨てるか難しいところです。

早く始末しないと部屋の改築も出来ないので、4月くらいにかたづいたら良いかと思います。

久しぶりにダンケに出たのですが、1時間しか持ちませんでした。あれもやろうこれもしたいと頭では考えますが、身体が付いて行きません。それが現状です。やはり病人モードです。ご理解ください。

20200114 闘病記

先週末外泊して家に落ち着き、ゆっくりテレビを見て、いざ庭仕事でもするかと立ち上がった時、ふらふらと倒れ足腰に力が入らなかった。平衡感覚が働かず、足腰に力が入らなかった。何処かにぶっつかっていたらこの前のように怪我をしていただろう。幸いよろけただけで済んだ。

しかし、この状態は、私が寝たきり寸前の体力であるとことを示している。私は怖くなった。庭仕事は何とかやり遂げ、病院に帰ったら早速歩くことにした。廊下を3000歩歩き、8階から下へ階段を降り、それを逆に4~5階まで上がってく、そういう訓練を自分に試みなければならなくなった.

放射線治療も後10回になった。しかし、これもこれから粘膜などやられ、皮膚が痛くなり、一番苦しい時期である。何とか後2週間を乗り切りたいものだ。

ここまで書いて、休養した。

しかし、その間廊下を3000歩歩き、このフロア8階から階段を降り、それをまた8階まで上がってくることをやり遂げた。フラメンコの先生はこの階段を駆け上ったそうだが、私は登るのがやっとである。それは日課になって来つつある。大事なのはバランス機能と歩く筋力である。毎日続ける予定である。

放射線治療はいよいよ2週間ほどであるが、皮膚が焼けるという一番苦しいところを経過するところです。

20200103 闘病記

 今私を困らせているのは離人感、感情の喪失である。これは怒りの抑圧で生じてくるものである。それなら怒りを爆発させれば治るのではないか。心理学は私にそう示唆した。

怒りの神、それは不動明王である。不動明王はお稲荷さんに祭られている。伏見稲荷、豊川稲荷、成田稲荷、赤い鳥居の奥には不動明王が祭られている筈である。

この不動明王と同一化すれば、私の中で何が起こるであろうか。私が不動明王になって生きることをしなければならない。明日から楽しみである。

20191126 闘病記 死神の話

グリム童話に死神の話があったと思います。

昔名医が居て名医には死神がついていました。名医が患者を診たとき死神が頭の方に立っているとその患者は助かり足の方に立っていると死ぬのです。死神の指示通りにしていると助かる人は必ず助かったので名医と認められたのです。しかし、ある時どうしても助かりたい患者が居ました。しかし、患者の足元に死神は立っていました。そこで名医は患者をくるっと回して反対に向け患者の頭を死神の方に向けました。患者やは助かりました。しかし、死神は出なくなりました。

私は死ぬべきところを助けられた者です。死神に見放されて生きています。今は死にたいほど苦しいけれど生きなければなりません。死神に見放されるということはどんなに苦しいかを経験しているところです。わかって頂けるとありがたいです。