文章を書くには

私は子供のときから文章が下手だった。小学校2年生のとき遠足のことを作文に書くことになって、遠足で行ったところや見たとこと沢山書いた。それを三者面談のとき母親の前で先生に笑われた。「そして、そして、・・・」とつないで書いていたからだ。ただ、「そして」を抜いてしまえば文章になったと思うのだが、それを先生は私に全く指導することなく、親の前で笑ったのだ。この時の情景は未だに覚えている。それが心的外傷になった。それから作文をどう書いたらわからなくなり、作文は苦手中の苦手になった。夏休みの絵日記は書かなかったし、授業中の作文も適当に書いて終わった。今も変わらない。

私の仕事は心理相談だから記録が大切である。私は記録が苦手だから本来カウンセリングは下手なのだ。しかし、幸いにも夢分析という技法を使っているので助かっている。夢は相談に来る人が書いて持ってくるし、その場で報告されるので私は助かっている。夢からの連想は夢解釈のために必要だが、それも話しながら記録していくことができるので幸いである。

今書いているエッセイも文章がうまくなるためでもある。

どうしたら文章がうまくなるのかわからなかったが、須賀敦子、米原万理、村上春樹さんやらを見ると小学校から中学ころまでにものすごく沢山本を読んでいる。読んだ本を全部憶えてしまう人もいるし、寺田寅彦は小説を読んで暗記したと書いている。寺田寅彦は漱石と五高で出会って10分間でいくつ俳句を作れるかという言葉遊びをしていた。これらの人たちは言葉の技術を子どものころから培っていたのである。

私が受けた国語教育は書かれた文章から意味を汲みとる教育であった。作者はどんなことを考えていたのでしょう?という国語教育だった。しかし、文章のうまい人は言葉を覚え、心象風景を描き表す方法を習得してきているのである。

私は文章の暗記が下手だった。教育学部の数学科に入って解析学で中間試験があり、今までやったところを全部暗記して来い、問題はその中から出すと言われた。結果は8割が不合格だった。理学部の数学科でも同じことが行われ、大体8割が落第する。先生は合格した2割を相手に授業を進めていくのである。後の人は適当に卒業して行けというわけである。

数学でどうした暗記が必要なのかを先生は説明した。それは数学の言語を憶えるためであった。そう言われて数学の本に書かれていることを憶えるとすごく理解が楽になった。河合隼雄先生は本来数学科出身だからそのことを意識して高校生にもわかるような話し方説明の仕方をされていた。

数学は心の中か出てくるものだから心理学と同じなのだが、カウンセリングでかかわる心は考えや感情や在るか無いかわからないたましいのことだから言葉で表現することがすごく難しい。その言語を習得するにはやはり内面の心の深いところを書いた有名な小説家の文章を読み憶えることが一番良いのではないかと思う。夏目漱石は正岡子規とどういう文章を書くべきかについて長い手紙を書いてやり取りしている。その内容を紹介するのは難しいので止めるが、漱石は自分が見た心象風景をありのまま絵にかくように文章で書き表すこと目指しているように見える。小説「草枕」を読むと場面々々が絵のように見える。言葉で絵を描くように面接内容を書くことが良いのではないか。最近円朝の「根岸お行の松 因果塚の由来」を丁度読んでいてそう思った。ちなみにその円朝のこの噺はドッペルゲンガーの噺である。

カウンセリングの相談記録も面接場面の再現であってほしい。私にはなかなかできないことだけれど、クライエントが言ったことやしたことから困っていることや行き詰っている状況がありありとわかるならば、面接はうまく行っているだろうと思う。村上春樹の流れるようなうまい言葉使いができれば良いが、先ずは読んで状況がわかる文章でありたい。