心理療法における実際家と理論家

箱庭療法の事例に関する私の解説は面白いらしい。だから本を書けと言われた。しかし、私は中々本を書くことが出来ない。
 心理療法の本を書ける人は知的で理論的である。心理療法の実際を思い描き、それを文章化できる人である。そういう偉い人は心理臨床の学会で沢山の聴衆を前にして講演し、心理療法に携わる人を育てている。心理療法の実際に関する考え方は心理療法に携わる人々に取って心の支えになる。しかしその人達が事例発表することはほとんどない。自分の事例が指導者の理論に照らすとそれほどうまく行っていないように思えるのだろうか。
 心理療法の指導者の理論と心理療法を実践する人の経験にずれがあるのではないかとも思った。心理療法においては理論と実際は違うと考えた方が良いのではないか。心理療法の実際は台所の洗い場の掃除のようなものだ。きれいなように見えても水垢が溜まっているし、排水溝もたわしでゴシゴシとこすってみなければならない。それは主婦を見習ってやってみるしかない。やってみて経験から学ぶのである。経験から学んだ人が台所のお掃除の仕方について語ることが出来、主婦を育てていくのではないか。
 主婦と言えば料理が思い浮かぶ。料理は今クックパッドを見て作ると大体のものはできる。しかし、それをみんなの前に出すのは恥ずかしい。それと同じく、偉い先生の考えに従ってやっと出来た事例を学会で発表するのは恥ずかしい。だから偉い先生の下で育った人たちが学会で事例発表することがほとんどないのではないか。
 私が研究会でやっているのは事例の解説ではないか。野球やサッカーのゲームの解説に似ている。解説は面白いけれど本にはならない。それと同じく私の心理療法も理論化が難しく本が書けないのだ。そう思っていたら、夢に山の中の大工の棟梁が出てきた。お前は未だ棟梁の弟子にもなっていないという警告夢であった。
 私のこの仕事、心理療法では事例から学ぶことがすごく多い。経験とそこから学んだ知恵がこの仕事を支えていると思う。それは棟梁の仕事である。