明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします
昨年は、心理面接のやり方について自分なりに一つの到達点に達した。それは対話的心理療法であり、人が経験してきた真実を明らかにして、その真実に基づいた安心感を基に生きていく力を呼び起こしていく面接法である。
もうこれでいいという境地になり、独り悦に入って万能感みたいな境地に陥ってしまった。一種のうつ状態で何もする気にならない。年末にやっと少し周りが見えてきて、これが私の男根期であることに気付いた。79歳になってやっと男根期に達したのだ。そうすると私はこれまで今流行言葉の発達障害だったことになる。
次の発達課題は何かというと、それは潜伏期、エリクソンによって言えば勤勉性、英語ではindustryと言い「本来もっている能力を発揮する」ことである。危険なことでもやろうとするからギャングエイジとも呼ばれる。それが出来なければ心の底に劣等感が潜在し、引っ込み思案となる。
私は幼児期の男根期をうまく経過することが出来なかったから劣等感がずっと支配的で、引っ込み思案であった。それをやっと昨年克服できて、自分の主体性が出来た。iniciative、主導性と訳されているが、自分には主体性のほうがぴったりくる。この主体性を持った自分が出来て来ると始めて相手が見えてくると私は大学で講義していた。ここに対人関係が始まる。それは私が頭で考えた心理学であった。私の心理学では潜伏期はギャングエイジで、対等の同性同年輩者関係が発達するときである。同性同年輩者関係の中で仲間とよく遊び出会いを作ること、それが私のこれからの課題ではないかと思う。
私はやっとその段階の入り口に達したことになる。
不登校の子どもたちはこの段階で友達との関係に困難を感じることが少なくない。何となく一緒に時を過ごしているものの、主体性が無いからもう一つ生き生きとしない。この友達関係から離脱した時不登校になるのではないか。男の子はクラスがうるさいと言い、女の子は独りでいるのがいいけれど、仲間はずれになって辛いと言い、不登校になる。
私は小学4年生で当時流行りのパラチフスに罹ってひと夏寝込んで友達関係から離脱してしまった。不登校の代償みたいなものではなかったか。クラスに返ったときは一匹狼的な性格になっていたのではないかと思う。それは今も続いていて人とは違う生き方方をしている。グループから外れているという意味では不登校やとじこもりと同類である。
今年の暮には傘寿となるが、傘寿になって始めてギャングエイジとは?
地域の老人会に入って何か役目を果たさなければと思っているが中々出来ない。
この正月に『厨房男子』というドキュメンタリー映画を見た。その中に愛知県大府市の老人会が畑でじゃがいもと玉ねぎを作り、みんなで収穫して2500個のコロッケを作って盆踊りの会場で販売しているのを見た。完売して歓声をあげていた。私もこんなことをやってみたいと思った。そのコロッケが美味しいかどうか判らないが、やっている人たちはギャングエイジを生きていると思った。
今年はいったいどうなることでしょうか。ご期待ください。