神(たましい)について

最近日本霊異記を読んだら、下巻第38章の中で、神に「たましい」とふりがながふってあったので驚いた。そうだったのかと。
東京の国立博物館の「みちのくの仏たち」展を見た時一番印象的だったのは、東北にはまだ神々の姿が残っていて、その上に仏教の、特に観音菩薩像に乗っているという印象だった。神々が居た世界に仏教が渡来し、菩薩像は神々の像よりもはるかに大きい姿に作られ、日本古来の神々の上に鎮座していた。
元々日本の神々には形姿はなかった。人が死ぬと荼毘に付され、煙とともにたましいは天に登った。今でも神道では亡くなった人は荼毘に付されたましいは神になる。先ごろ亡くなられた桂米朝さんは神道でお葬式をされたから神になられたはずである。神代の昔泊瀬のような山間の聖なるところで荼毘に付され、そこの山の辺りたましいはあったのであろう。そして依代にやってくるのである。鏡や勾玉や榊が依代となり、そこへたましいはやってくるのではないか。「千の風になって」という歌があるけれど、あの歌はたましいにこそふさわしい。日本人のたましいは神々となって千の風となり世界中を飛び回っているのではなかろうか。泊瀬の山間にたなびくかすみはたましいの姿かもしれないと万葉の人々は思っていた。
仙台の博物館には思いの外沢山の土偶があっておどろいた。それらに美術的な価値は感じられなかったが、あれは何のために作られたのであろうか。それらは今地母神と見られているけれど、地母神は学問的につけられた名前であって、東北のたましいの名前ではない。その当時は土地神、あるいはたましいの像だったかもしれないと思う。
長谷の山間の地は亡くなった人が茶毘に付されるところでもあったし、天皇が宮殿を建てて住まっていたとこでもあるらしい。たましいが神々となって沢山いたところだったのではないか。祖先崇拝の時代には重要なところだったに違いない。万葉集や日本霊異記の巻頭の「泊瀬の朝倉の宮」という書き出しから考えると、泊瀬に神社があり、そこに人々は籠って夢を見て、たましい、つまりご先祖様のお告げを乞うたのではなかろうか。夢は神々が出てくるところだから、泊瀬に籠って夢を見ることは大変有意義なことではなかったかと思う。
日本霊異記の上巻の第一話、雷の話は、雄略天皇、大泊瀬稚武の天皇の云々・・言葉で始まり、下巻の終りに近い第38話は景戒自身の夢や不思議な前兆の話で、仏教的因果応報の話ではない。霊異記の著者、景戒自身は、仏教の功徳の物語を語っているが、たましいは夢信仰に生きていたことが窺われる。
今、私はユング心理学を離れ、仏教渡来以前の夢信仰に基づくことになった。それは神をたましいと呼ぶ世界観に基づいている。神々の世界にはご先祖様のたましいがあって、そのたましいの世界から人間として生きるための示唆を得ようとする夢信仰である。神々のたましいの世界にはこれまで生きたすべての人々、人間が生物として生きてきた「生きる知恵」が蓄えられており、夢の教えるところに拠って生きるということは真に人間的に生きるということではなかろうか。
こんな考えは今の時代にはとうてい受け入れられないだろう。神社があれば柏手を打ってお参りする人はあるが、その神が自分に直接何かメッセージを伝えて来るとは思わないだろう。夢を通じてあなたのたましいが大切なことを教えていると考える夢信仰だなんて占い師の考えだから、世の中の片隅で生きることがふさわしいと思っている。