心理療法の理論の呪縛から解放されて

 私はこの歳になってやっとユング心理学から自由になった。ある人は今でもユング心理学は正しいという。もうユング心理学はやらないというと、おかしいというような目で見られる。そうなると付き合ってももらえないような感じになる。ユング心理学や精神分析の学派はまるで新興宗教の集団みたいで、そこから出るともはや仲間として遇してもらえないのかも知れない。ユング心理学をやめるということは凄い孤独を覚悟しなければならないのだ。

 ある人は、私がユング心理学にはくみしないと言っていても、言っていることはやはりユング心理学ですよねと言われる。私の中にはユング心理学的な知見が沢山入っていて、他の知見は少ないから、ユング心理学の知見を使うのは致し方ない。ユングは内向型と外向型とか、影やアニマ・アニムス、シンクロニシティなど発見をした。それらは実際有用な心理学の法則である。

 しかし、それらが元型理論に基づいているということになると、果たしてユングが言うように心のなかにイメージを産出する元型があるのだろうかと疑う。友人は元型を堅く信じているけれど、私の心のなかでは仮説にすぎないじゃないかとささやく声がする。

 一昨年から中国の古典を読みだして、最近、白川静の『詩経』を読んだ。その中で、詩経には宗教的な呪縛から解放された人間の自由な感情の喜びがあふれていると書いてあった。万葉集も同じだと書いてあった。神々に絶対な畏れをもって仕えていた祭祀共同体としての氏族社会がもっと大きな中央集権的な王国に支配されるようになって、人々が神々の呪縛から解放されて、感情を自由に言葉に表現できるようになったとき、詩経や万葉集が出てきたと白川静はみている。

 歴史的変化の実情がそうだったかどうか不明であるが、人が神々の呪縛から解放されると、自分の感情で世界を感じるようになり人間的な感情が自由に表現されるようになるという見方が私にはぴったりきた。ユング心理学の呪縛から解放されて見た心の世界は私には新鮮であった。精神分析やユング心理学の枠組みで見るのでなく、あるいは、高名な先生の言動にとらわれるのでなく、自分の目で人を見て、自分の素直な感じを相手に率直に伝えるとき、相手からも率直な言葉が返ってくる。そこにできる心の交流が人を支えていくのではなかろうか。そこには本当の意味での一期一会があると思う。

 これが連休の、そして、台風襲来を前にしての閉じこもりの収穫であった。