歳をとって腑抜けになった

このところあまりブログにエッセイを書いていない。何人かの方がもっと書いて欲しいとつたえてこられた。ありがたいことである。

エッセイを書けなかった理由はいくつもある。自分の心理療法はこれで良いという心境に達して安心したこと、心理臨床学会で自主シンポや事例発表に参加し思う存分自分の意見を言ったこと、それによって48年前に亡くなったクライアントに積年の恩義を返したこと、資格問題が怪しげなこと-臨床心理士会の会長が自分の立場を忘れて、「心理師」という学部卒の一段低い資格の国家資格化に賛成していることに驚いていること-、20年続けてきた東京赤坂の箱庭療法研究会をこれまた様々な理由で閉鎖したこと、その研究会で興味ある事例を発表していたある方の心理面接の内実を見たら、私のやり方とは全く相容れない心理的な距離を取った心理療法であったことに驚いたこと、その他個人的な様々なことがあって、私の内的な世界はそれで大変だった。

河合先生の内的世界はこれ以上に大変だったと思うけれど、毎日毎日朝6時から机の前に座って2時間原稿を書かれたのである。先生の心の部屋は、文化庁のこと、心理臨床学会のこと、資格問題のこと、みんなを喜ばせるような読み物の世界のこと、心理学の専門的な研究のこと、様々な人との対談のこと、フルートのことなどなど、いくつにも分かれていたに違いない。

先生はそれらを混同されることはなかった。文化庁長官の立場を利用すれば、臨床心理士国家資格化の問題も解決できたかも知れない。しかし、文化庁長官の立場を心理臨床の世界に持ち込むことはされなかった。心理臨床の実際をエッセイに持ち込むことはされなかったと思う。だから、事例の内容はエッセイにはほとんど出てこない。まさに多重人格的であった。

私の内的な世界はこのような部屋に分かれていないから、自分の心理療法はこれで良いという心境に達して、その後心の世界への探究心が無くなり腑抜けのようになって、エッセイを書くことも関心の外になってしまった。自分らしい心理療法が出来上がるという、言わば火山の噴火の様な出来事で、エッセイを書くという心の生活も破壊されてしまった。公私混同のために起こったことである。私も先生に見習って心の領域区切れたら良いのだが。

そろそろ私も先生が亡くなられた歳になる。歳をとって私はこれで良しとなって、腑抜けの様な心境になった。私は何もしないでも年金だけで生きていけるはずだ。仕事をやめたら毎日何もしない生活になる。朝起きてお茶を飲み、新聞を読んで、猫の相手をしてテレビを見る。ただ生きているだけで、元気ですねと言われるのを喜んで静かに笑っている、そんな生活も良いのだけれど、やはりこの仕事が面白くてやめられないから、自分の生き方を取り戻さなくてはならない。むらさきやの水ようかんや山中のくずまんじゅうや上等のビフテキは美味しい。美味しいと思って生きられる生活でありたい。