心の井戸浚い

私が子どもの頃井戸を使っていて、年に一度は井戸浚いをしてもらった。井戸浚いが職業として成り立っていた。

私は今心の井戸浚いを職業としている。初めてきた人に、話を聞いて、あなたの問題はこうですと説明して、ここでできることは心の井戸浚いですというとだいたいすぐにわかってもらえる。長年の生活で心の井戸に枯れ枝や落ち葉や玩具などいろいろなものが溜まっていて、心の井戸が使えなくなっているので、溜まったゴミを引き上げて、心の底から湧き出てくるきれいな水を汲めるようにすることが大切ですと説明する。

心の中に溜まっているものは、何から引き出したら良いかわからないので、先ず、思いつくまま話をしてもらう。この思いつくまま話してもらうのが第一の方法である。

第二の方法は夢分析で、夜見る夢をできるだけ詳しく記録してもらい、全部報告してもらう。夢をほとんど見ませんという人には、夢の心は現金だから相談料分はきっと夢を出してきますという。それでも夢を見ませんでしたという時は、何か話をしなければならないことが一杯あるはずですと言う。つまり、井戸の水面より上に枯れ枝などが重なっていて水を汲み上げる桶さえも下ろすことができなくなっている状態だと説明する。夢が記録できなかったときはほとんどの場合、時間いっぱい話をして帰られるのが常である。

ユング派の分析家のなかには時に一つの夢だけを取り上げて詳しく検討されることもあると聞くが、私は記録し報告された夢を全部検討することにしている。夢をシリーズとして見ていると、漠然としたこころの動きをシリーズのなかに見出すことができる。そのこころの動きを頼りに生きる方向を見出すのである。

第三の方法は箱庭療法で、時間があれば箱庭制作をお願いする。箱庭を作るとその人の心の情況がわかる。たいていの人は作った箱庭の中に自分を位置づけることができないし、まとまりがない。

箱庭に現れる世界は無意識の世界というよりも、むしろその人の心の井戸の在る世界の情景である。心の井戸というよりは心の泉とそれを取り巻く世界と見た方が良いと思う。井戸は人が意図して掘り下げるものであるが、泉は自然と湧き出てくるもので、こころの世界にはいたるところに泉が在ると感じられる。その人にとってこれこそは自分のこころの泉と言えるものを位置づけた箱庭が出てくることを期待する。そうなると人は安心立命している。

この3つの方法を適用していくと、無意識のプロセスは夢によって、心の目で見た世界は箱庭制作によって、そして思いつくままの話で心がまとまって行くのである。

前もって余り考えず、その時々の思いつきで行動できるようになると良いと思う。人は犬や猫と同じ動物だから、あまり考えなしに行動できた方が楽である。

「考えも無しに」と言われると、「能なし」とみられるが、考えると損得や苦楽によって判断し、返って自分を失うことになりかねない。考えも無しに、自然に心の深層から湧いてくる声に従った方が確実である。心の深層から湧いてくるものは、湧き水がほとんど音を立てないように、よく見て心を澄ませないとわからない。湧き水のような心は捉えようがなく記憶にも残らない。記憶に残らないから頼りないように思えるが、一番確かである。心の泉から音もなく湧いてくるものが一番浄らかで、それによって人間関係も浄らかになると思う。

今の人は知性を働かせ、電車を待つ間もほとんどの人がスマホを見て考えている。これではボーっとすることが無いから、心の底の湧き水に耳を済ませることはなくなるのではないか。いずれ、私たちの仕事が忙しくなるに違いない。