怒りが抑えられない女性たち

  戦後女性と靴下が強くなったと言われた。けれども昭和40年代までは過保護が問題で、子どもは甘えん坊になって、自発性や活動性が無くなっていた。ベタベタの可愛がり過ぎが問題であった。

 今は、それが子どもへの過干渉となって、言葉で子どもに指図したり叱りつける形になった。

 なぜでしょうと問われるが、はっきりした理由はわからない。漠然と、野球からサッカーの時代になったと答える。野球は抜きん出た優秀な選手が居ても、チームプレーが重んぜられる。一方、サッカーはチームプレーも大事だけれど個々の選手が個性を発揮してがむしゃらに突進していくことが大切である。先ず個人個人の個性的突進があってそれがチームワークで支えられる時うまくいくのだろうと思う。サッカーは先ず攻撃的な突進がなければならない。このようなスポーツが盛んになったということは人間関係の全体が人の和というよりも、一人ひとりの個性の発揮が重要になったのである。

 今、企業のなかでも、グループの和よりも、能力の発揮が重視される。役職定年といって、50歳過ぎて管理職になれないと、グループの一員になり、グループの長は40代の年下の人になる。ときには、グループからはずされ、仕事は自分で見つけなさいということになる。仕事を見つける能力がないと、何もすることがない毎日となる。

 こういうわけで家庭教育も、学校教育も能力を競う力を育てることに向かっているのではなかろうか。

 そのような能力重視の社会の中で、しっかりしたできる女性たちの厳しい態度が、家庭でも職場でも意味を持ってくる。

 職場では、お局さんと呼ばれる女性が、仕事の能力が高いということで重視される。ところがそのお局さんがいるために、次々に周りの人が辞めていくということが起こる。

 あるいは、そのお局さん的な人を重視しなかったがために、お局さん一派がごっそり集団でやめるという事態も起こる。女性の多い職場では女の戦いが問題となる。

一昔前は女性のやさしさや、おもいやりが重視された。しかし、それは今背景に退き、しっかりした自分の考えを持ち、意見をはっきり言えて、仕事をやり遂げていく女性の積極的な側面が重視されるようになってきた。そして、家庭でもそのような女性が支配的になると子どもや夫が苦労することになる。自分らしさを持った子どもは反抗し、反抗できない子どもは外でも意見の言えないおとなしい子どもになってしまう。

 あるいは、家できびしくされた子どもたちは、学校に行って母親にされたように少し弱い子どもたちにいじめをしてしまう。現代のいじめの背景には、このような能力主義の厳しい社会的文化があると思う。

 私たちは好むと好まざるとにかかわらず、能力重視の、目立つことが重視される社会に生きていかねばならない。