システム化された社会と個人相談室

 昨日は久しぶりに丸一日休みになったので前日テレビで紹介された山のなかの温泉と鰻屋に行ってきた。温泉は割に閑散としていた。でも前日は4時ころには入りきれないほどの人が来たということだった。鰻屋もお店の中は詰めれば百人も入る広さで、夏は行列ができるほどの賑わいだということだったが、お昼の遅い時間に入ったので、席も駐車場も余裕があって、しかも帰りの高速も空いていて渋滞になることもなく、ゆっくりと帰ることができた。

 しかし、お風呂にしても鰻屋にしても、完全にシステム化されたなかに入って流されてきたという感じがする。もう行かなくても良いという感じである。高速にしてもひたすらハンドルを握って緊張の連続である。現代は一歩外に出るとシステム化された社会である。賑わいを見せる鰻屋もマックやKFCとあまり変わらないシステム化されたお店であった。

 それに引き換え、私の仕事はあまりシステム化すると良くないと思う。先に、私の心理療法の原則を、思いつきの自由な話合いと夢分析と箱庭療法の3本柱で紹介したが、これもシステム化の一端だから反省しなければならない。どのクライアントにも同じ方法を適用しているとシステム化されたことになる。それでは心が見失われる可能性が高い。

 私たち個人心理療法家は、職人の個人相談室で、システム化せず、その時時のやり方でクライアントに対応していくところが良いのではないか。

このような個人商店が生き残れるだろうか。

 今年の春、近くの石川橋商店街という個人商店の集まったマーケットが無くなった。商店主の個性がある商店街だったけれど、立ち行かなくなったのだ。その後、近くに全国展開しつつあるスーパーマーケットができた。ここは完全にマニュアルでシステム化され感じの良い店であるが、個人の顔が見えないお店である。

 心療科も健康保険による薬物療法でシステム化されると、心のつながりが薄れてしまうだろう。

 私の相談室もシステム化を避けるために、もっと余裕をもって相談に乗れるようにしなければならないと思う。