教育分析・スーパービジョンの必要性

臨床心理士は心の専門家であると河合先生は言った。

心の専門家とは、心を扱う技術者であると考える人があると思う。医療において医師が医療技術を用いて病気を治すように、臨床心理士は心の技術を使って人の悩みを治すと考えるのである。私も以前はそう考えていた。

精神分析では、治療者はクライアントが横たわる寝椅子の頭の後ろにいて自分の姿をクライアントに見せず、自分をクライアントに対して隠しおおせると考えていた。自分を隠して精神分析という心理技術で心を分析し、治療できると考えていたのである。

私は心理療法において夢に関わっている。クライアントの見た夢を調べると、クライアントの無意識が、私が隠しているつもりの無意識の部分をしっかりとキャッチしているとこを夢分析の最初の事例で思い知らされた。

河合先生から聞いたばかりの借り物の技法で不登校の高校生に夢分析を施行した。すると彼は次のように夢見た。初回夢である。

「恐ろしい人とキャッチボールをしている。その人の腕は石膏でできたような義手であった。」

ある研究会でこの夢のシリーズを出すと、先輩の聡明な女性が、この夢について「これ何!義手じゃない」と言った。私はその瞬間凍りついた。クライアントの夢は私の夢分析の技法が義手であると見抜いていたのである。私はこの経験によって分析家の隠れ蓑なんてクライアントの無意識の心には通用しないと思ったのである。その後、自分の無意識も含めてクライアントに関わりあっているので、夢分析や箱庭療法などの心理技術を使いながらも、自分の無意識の人格もかかわって面接していると思って来た。だから、教育分析やスーパービジョンは大変大切なものだと考えてきた。それによって自分を整えること、それだけが相手に効果的であると思うようになった。

私たちが河合隼雄先生の生きる姿勢を真似て取り入れてきたように、相談に来るクライアントも私たちの生きる姿勢を写しとって行くのではないか。そう考えると面接中いつも瞑想して自分を整えることが仕事であるということになる。そして、話を聞いて率直に感想を延べ、本当の話合いをする。そうすると、クライアントも心のなかで自分自身と眞の対話をするようになり、心が自然に整って行くのである。これが私の心理療法である。

 

 

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