自分をスエヲと呼ぶと

アメリカへ行って分析を受けたとき、最初お前を何と呼ぶかと話題になった。アメリカでは親しい間柄では愛称で呼ぶらしい。私はSueoだから普通愛称はシューとなるが、これは女性形だからダメだという。他に言いようがないので、やはりスエオとしか呼ぶほかないということになった。

私の名前は洲衞男で、洲は満洲の洲らしく、戦前の日本が続いていたら満洲を衞る男として中国北部に行かねばならなかったかもしれない。それは今思ってもゾッとすることだから、戦争に負けてよかったと思う。けれども、満州へ行く必要がないと自分の存在意義も無くなったようでなんとなくさみしい。

そこで自分に他の名前を付けると、三男坊だから三郎とか三吉になる。しかし、それもおかしいからスエヲにしてはと思う。ローマ字表記はSuewoとなる。

今男をwoと発音することはない。標準語では男はoである。魚もuoで、uwoではない。私が生まれ育った九州は比較的に古い発音が残っていたので男はwoだったと思う。父親は私をスエヲと呼び、姉はスエオさん、兄はスエオと呼んでいた。私をスエオと呼ぶ姉もひらがなで書くとき、本当はすゑをではないかと書いてくれた。衞が「え」か「ゑ」かはしらないけれど、衞は難しい漢字だから「ゑ」が似合う。「すゑを」はなかなか良いと思っている。

前置きが長くなったが、『吾輩は猫である』を読んでいて、漱石は猫の視点に立つことによって、人々を、そして自分を客観的に見ることが出来ていることがわかった。70代半ばになった自分が今やっと、自分自身を客観的に見ることができるようなって、漱石の視点が理解できたようだ。

自分をスエヲと呼ぶといろいろなことが見えてくる。

年をとって同級生との距離も遠くなった。今やっているカウンセリングの仲間との距離も遠くなった。自分で事例発表したり、自主シンポジウムを開かないと人と接することが少ない。大学で指導した人々もほとんど会うことがなく、孤独な存在になってしまった。そういう孤独な存在になってしまった自分をスエヲさんと呼ぶと、自分のなかに友達が出来たような気持ちがするから不思議なものだ。

歴史小説を書いた司馬遼太郎は書斎に入ると坂本龍馬や村田蔵六など小説のなかで生きた人物と共に過ごすことが出来たという。自分にはそういう想像上の友達はないけれど、今自分をスエヲさんと呼ぶことによってイメージマージナルな世界に入って来つつあるような気がする。自分を客観視すると、自分のいろいろな点が見えてくる。育ちも幼少期のことが思い出され、自分は甘えん坊で、自分の足でしっかり立つことがその頃からできていなかったのだとわかる。母親の膝に持たれていた自分の姿勢を斜め上から見ている自分がある。スエヲさんは幼い時からああいうふうだったのだと。