スエヲさんは変な人である

 1971年にスエヲさんは京都から愛知に移り、名古屋市立大学の神経精神科で仕事をするようになった。そこで先に神経精神科の外来で心理テストを行っていた人たちにロールシャッハ・テストを共に学びながら教えることになった。京都で手に入れた『ロールシャッハ法の発達』というクロッパーの教科書によって解釈仮説の根拠から学び直したせいか、ロールシャッハ・テストの考え方はスエヲさんの心理学にとって大切なモノになった。

 しばらくすると、テスト資料の解釈についてどうしてそのような意見が出てくるのかわからないと言われるようになった。それは間違っているというのではなく、判断の根拠というか、目のつけどころが違うらしい。その後始めた箱庭療法研究会でもとんでもないことを言う人と見られた。とんでもない見方をするのだが、見方が間違っているというわけではない。むしろこころの見方としては的を射ていたのではないか。みんなの思考パターンとは違うところから出てきたものが的を射ているので、みんなはその根拠がわからないまま納得する以外にないのではないか。

 スエヲさんはこれまで特異な人として見られてきた。だから、すぐれものだけど人気がない。先日、若い人にこのことを確かめたら彼は頷いたので、その人もスエヲさんを特異な人と認めながらもっとわかりやすい心理学の道を歩んでいくのだろうと納得せざるを得なかった。

 特異なものの見方をする人は孤独である。

 ここでスエヲさんの心の見方について弁護しておくと、彼の見方はつねに深層心理を見ている。物事の背後に動いているものを見ている。物事が進行していろいろなことが生じるとそれらの事象の背後と言うか、一連の事象のなかに意味のある心像が浮かんでくる。現象のなかのゲシュタルトである。それは根拠なく出て来るのではなく、スエヲさんの見方ではかなりしっかりした論理的な結論として出てくるのである。だからスエヲさんはかなり自信を持って言うので他の人は圧倒されてしまい、他の意見は出せず討論にはならない。だから、孤立したまま終わる。

 スエヲさんは自分ではまっとうなことを言っても孤独である。

 彼のような人は孤独に耐えて生きるしかない。内向的直観タイプの人間の一つのあり方であるとスエヲさんは納得している。