村上春樹『色彩のない多崎つくるの巡礼の年』について

この話題の小説をお読みになりましたか。

私は5月の連休に入って読み始め、4日の夜中に読み終えて、あまりに面白かったので、一人ワインで乾杯をして、満足して眠りました。

村上春樹の小説作法はユングのいうアクティブ・イマジネーションですから、いわば意識して夢を見るという無意識の探求法です。村上春樹自身も対談集に『夢をみるために毎朝僕は目覚めるのです』-村上春樹インタビュー集1997-2009文春文庫-と題をつけていて、小説を書き始めると、毎日朝4時に起きて無意識の中から自発的に生じてくるイメージを物語に書いていくことを仕事にしていると言っています。まさにアクティブ・イマジネーションを一人で実践して、自分のたましいを癒しているのです。読者が新しい物語を待っていてくれることがうれしいと河合隼雄物語賞の受賞講演で述べていることからわかるように、村上春樹のセラピストは読者なのです。

このような観点に立って、この小説を私の夢分析の手法で分析してみます。

私の関心は、先の『1Q84』で書かれた内容が、この物語でどのように発展しているかということにありました。Book3で出会った天吾と青豆、そして、村上春樹の自我像とも言える人物、青豆を殺そうとした牛河はどのように発展しているかを見たかったのです。

物語は、高校時代に仲良しになった五人組、男3人、女2人のお話です。

主人公つくるは二〇歳のとき、これ以降お前と付き合わないと理由も言わず絶交を宣言され、友達関係を切られてしまい、つくるが自殺念慮にとらわれているところから物語は始まります。

初めに述べておくと、『1Q84』の天吾は、4人の友達に絶交を言い渡されて死の瀬戸際まで追い詰められた主人公、多崎つくるとして現され、青豆は旅行社の女性、たましいの導者、沙羅として登場します。Book3で殺された自我像牛河は死の淵から甦って多崎つくるに含められているとも思えますが、4人の友だちのなかの一人の女性を殺した犯人として隠されています。この殺された女性とその犯人は将来次の物語できっと出てくると思います。

主人公つくるは絶交の理由が何かわからなくて苦しみ自殺寸前まで追い込まれてしまいますが、なんとか生き延びて、一人の旅行社の女性を知り合います。彼女は作るが絶交された話を聞いて、四人と会うように勧め、四人について調べ上げ、つくるの旅行案内を務めてくれます。明らかに人生の旅路の案内者です。

駅、つまり人の行き交う場所を作ることにしか興味のない、つくるという名の男、つまり、感情の乏しい人格は、物語の舞台でもある名古屋という個性のない、物作りの街、東京や関西と比べると個性のない大いなる田舎の特性に似ています。

人が行き交う場所と絶交ということも対称的で、意味ありげです。

物語は、沙羅に助けられて、主人公が友人に順番に会いに行って、最後に、その名も「白」という清純な、しかし最も不可解なものをもった女性の死の経緯を知ることになり、その彼女の面倒を見た「黒」という感情を抑制した女性と再会して、絶交の真相が明らかとなります。

この物語でも村上春樹のなかの不可解な女性像が死んだので、次の物語ではこの女性像がどうなって現れてくるか興味深いところです。不可解な女性のテーマは『ノルウェイの森』以来続いています。

この小説の最後で、つくるは友達を巡る旅をセットしてくれた女性、沙羅に恋人として会いたいという激しい思いが胸に湧いてきたところで、物語が終わります。

彼女に会いたくなって真夜中に電話した後の場面が物語としてなかなか良かったので、私は喜んで乾杯したわけです。みなさんもご一読ください。