教育分析はなぜ必要かと問われて

私たち心理臨床家は心の問題に向かい合う仕事をしている。だから、先ずは心理臨床家である私たちカウンセラーが自分の心に向かい合う必要があると思う。

 

フロイトとユング、二人は自分の心に真摯に向かうことが大切であることを認め、互いに分析者となって、向かい合った。

二人の相互分析は始め上手く行ったが、ある時ユングはフロイトに彼の奥さんの妹について話したいと言った。それを取り上げたのは、奥さんの妹が奥さんよりも精神分析のことをよく知っていたからである。ユングはフロイトと義妹の関係をいぶかったのである。するとフロイトは、そのことは自分の威厳にかかわるといって話すことを拒否した。多分、フロイトと義妹は精神的に深い関係にあったのであろう。それにもかかわらずフロイト先生が話すことを拒否したので、ユングはもはやフロイト先生は本当のことを話す相手ではないと分析を見限ってしまい、二人の離反の原因の一つになった。それは二人のアメリカへの旅行の途上のことだったと『人間と象徴』に書いてあったと思う。

ユングは社会的体面のために自分の内面をまともに見ないことは心理療法の倫理に反すると考えた。自分の内面を互いに話し合えない人は心理療法の仲間ではないという考えである。

ユングはその後フロイトと別れ、精神的混乱に陥って精神病的な状態になった。そのときの精神的な苦闘は書き留められ、『赤の書』として公開され、今では日本語でも読めるようになっている。そこには、ユングの内界から生じてきたイメージとの対話が記されている。

それを読むと、ユングは精神病的な状態になっても自分の内面に生じてくる意味不明なイメージと格闘し、内面との対話を欠かしていなかったことがわかる。

そのような対話のあとで、『心理学的類型』という、内向・外向の心理学を作り上げ、フロイトと自分の違いを明らかにして立ち上がってきた。

ユングが自分の心理学を作る前に自分の深い内面との対話があったことが重要だったと思う。

ユング心理学の特徴と言えば、普遍的無意識、元型、アニマ・アニムス、影などが述べられるけれども、最も大切なことは内面の真実との対話、つまり、教育分析と言えると思う。ユングがいう個性化は自己実現と同じに見られているけれども、自分の能力を生かして何かを成し遂げることではなく、自分の内面の深いところで動いている心のいのちの流れにのるという意味であって、自分の内面にそって生きていくことなのである。何かを実現することとは違う。自己の内面に潜む道を歩むということである。

ユングは内面の深い心をサイコイド(類心的)といい、そのサイコイドは人にも動物にも通じる心のレベルである考えていた。このレベルで生きるとき本当に人間らしくなり、人間関係も横に広がるのである。サイコイドのレベルで見ると、フロイトの奥さんとの関係、そして精神分析を深く理解した義妹との関係はより人間的なものとして見えてくるのではなかろうか。

 

社会的威厳を保ったフロイトの精神分析は世界に広まり、個人的なものを関与させないで、人の心を外側から客観的に見る心理療法になって発展した。今の心理療法では治療者は自分の心を考慮するけれど深く掘り下げはしない。クライアントとのかかわりのところで考慮するだけである。治療者は隠れ蓑を着てクライアントの隠れた心を明らかにしようとする。そこにはフロイトの威厳を重んじた態度がそのまま受け継がれている。

内面の深いところにかかわり、精神病的な状態になっても心と対話したユングの心理学は現代的ではない。現代は何事も知性化され、コンピューターに乗らないものは扱われなくなって来ている。心的エネルギーはお金という目に見えるものに置き換えられ、心よりも経済が優先していく世の中になって、深層心理を大切にするユング心理学はその存在が霞んでしまった。今、哲学の世界でも老荘の思想は霞んでいると聞いた。

人をコンピューターによって動くロボットのように見て、行動を分析し、足りない機能を付け加えてより社会的な行動をするものに変えていこうとする認知行動療法では内面の心を見る必要はなく、ユング心理学の関与するところは見えてこない。

認知行動療法では治療者の目は目に見える行動に向いていて、内面に向くことはない。治療者もここでは行動する人になっている。

 

このような時代の流れに私自身は全く乗っていない。

私は30代に受けた教育分析で問題点として意識しながらやり残した問題にやっと今になって向かい合っていると思う。

50代になってシュピーゲルマン先生の分析を受け,それまでの20年間の心の整理をして、その後の分析を諦めて帰る直前に見た夢は、私が子供時代の心をフォルマリン漬けにして放っていたことを思い出ささた。フォルマリン漬けになっていたものが今になって釜の中で煮えたぎっていると夢は警告してきた。驚いて目覚めた。目を覚ませ!というわけである。

私はこれをどうしたら良いかと考え途方にくれた。河合隼雄先生はすでに日本の多くの人々に必要な存在になっておられ、とても自分のこのような個人的な問題で時間をとることははばかられた。すると自分一人でこの問題をやりとげねばならなくなった。

それから15年余たって、やっと私は子供時代を生きはじめ、それとともに、自分の内面にあった肥後もっこすの頑固さ、人となじまず、司馬遼太郎が指摘した肥後人の一人一国の個性的な生き方に固執してきた自分にやっと直面しつつある。

子供の心を少し取り戻したから少し元気になったらしい。自分でも躁状態ではないかと思うくらい元気である。この前もある人に若返ったねと言われた。若返ったけれど子供的だ。今後果たして社会性が開かれるだろうか。それは私の今後の心の井戸掘りの成果次第になる。

しかし、この問題をやり遂げねば私のクライアントが困るだろうと思う。私の社会性が少しでも広がると、クライアントは私の社会性を見習ってもっと楽に孤立から脱して社会化していくことができるのではないかと思う。

 

子供寮の寮長で保母さんでもあるシスターが、子供部屋にいてあまりに酷いことを子供たちに言われ、疲れきったので自分の部屋に帰って休もうと思って向かい側の修道院の方へ行き入ろうとしたとき、もう3年も前に修道院の自分の部屋はなくなっていることに気づいて途方に暮れた。仕方なく子供寮に戻っていくと、そこに丁度子供寮から飛び出してきた男の子が「こんなところにおれるか」と言ったので、「そう!私も今そうなの、帰るところがないと言ったら、その子は黙って部屋に帰っていったという。

本心の出会いとはこういうものだろう。
自分に直面するとこんな偶然のことが起こる。話をすると何と不思議なこととも思えるし、「あっ、そう」という一言で終わってしまうことでしかないけれど、これが心の不思議であろう。このような経験は心理臨床学会の事例発表にはなじまない気がする。学会の発表事例にしては気が抜けているけれど、これが本当の心の出会いではないか?
今、多くのひきこもりやうつ病の方がある。そのような人々に私は自分の内面を耕し、自分の社会性を広げることでなんとかお役に立てないかと考えている。

 

こういうことが自分にとって教育分析が必要な理由である。

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