ケーブルカーでなくふもとから登る山

ケーブルカーでなくふもとから山に登るという夢を見た。

ケーブルカーで山に登るということはどういうことかと考えた。

私のこれまでの人生はケーブルカーを使って山に登っていたと夢は言うのだ。

私はこれまで先輩にロジャーズの来談者中心療法を紹介されて学び、精神分析を知り、河合隼雄先生についてユング心理学を学び、導かれて夢分析や箱庭療法を実践してきた。そこには河合隼雄先生が作られたケーブルカーがあったのだ。

これまでの心理療法という山は自分の足で登ったわけではない、ユングや河合先生の本、つまりは登山案内書を片手に登った山であった。

今度の山はふもとから地元の人が踏みしめた道を探しながら歩くのである。まったくの藪を漕ぎ分けながら登るのではない。

ここまで書いて以前に「熊笹が密生した山で誰かが遭難し、ヘリに乗って捜索する」夢を見ていたことを思い出した。

今度の山はふもとに村があり、そこでは女性講師の文化講座も開かれている。山には当然これまで人々が歩いた道があるはずである。まったくの藪漕ぎでないことは確かである。これから歩む道はある人々にはすでに常識としてわかっているはずの道である。それでも私にとっては新しい山である。この山に登って私は登山案内書を書くことになるのであろう。それを誰か将来読んでくれようにしなければならない。