初夢

明けましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

 

もう七草粥も過ぎてしまいました。みなさんは初夢はご覧になりましたか。

 

初夢ではないが、この冬休みに印象的な夢を見た。

「私はケーブルカーで登山の中継点に来ていて、もう夕暮れ時でみんなは下りのケーブルカーに乗るために急いでいます。私は最終の便にはまだ時間があるので、次に上る山の下見にその登山口を見てこようと山を下ります。そこで何人もの知った人に出会います。その方たちはゆっくりと歩いています。私は急ぎ足に下り、途中市民講座の、その関係の、野菜が見事に育った家庭菜園の中で行われている女性講師の教室を横目に見ながら部落の端にあるはずの登山口を見ようとして進みます。すると時は夕暮れとなり空には星が瞬き始めています。これでは間もなくすっかり日が暮れてしまうと思い引き返し、ケーブルカーの方へ登って行きます。元のところに引き返すとまだ明るくそこには知った人もありました。そこから見ると次に登るべき山は雲に隠れて見えません。次の機会にはその山にきっと上りたい。」

 

目が覚めて、何となく満足感があった。次の山に登るのがどういう人生になるのかわからないが、ケーブルカーで上った山ではなく、今度はふもとの部落から登る山であった。

 

昨年は竟の棲家の夢を見、遠い国へ行く列車を待っている夢を見、そしてついに竟の棲家のある山の下の故郷熊本駅に着いた夢をみた。これで自分の夢に導かれる人生は終わりを迎えるのかと覚悟したが、先の夢を年末に見て、自分はこれからもう一山登るのだという希望が湧いた。

その少し前に夢を見ていた。

「4歳くらいの女の子を私は成人の女性のように感じて抱いている」

昨年の春、「6歳くらいの男の子の夢」を見た。子どもにしては大きな体格をしていた。この夢を見たときはうれしかった。自分はまだこの年齢の子どもを生きられるのだと思った。そして、女の子の夢から自分の中に幼いながらたましいが蘇ったと嬉しくなった。また元気になったのだと。70代半ばになり、幼児のような心に返り、次には赤ん坊になりあの世に行って胎児になるのかもしれない。あの世に行く前に胎児になったらぼけ老人になり周囲の人に迷惑をかけることになる。何とか歩けるうちに山を登って竟の棲家へたどり着きたいものである。

 

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