来年の目標-心の足腰を鍛える

今年も残り少なくなった。今年は何をしたのか、振り返ってみると、ただこれまでのことを継続してやって来たにすぎない。自分がやっている心理療法、それも心理療法と言って良いかどうかわからないもので、それが一層深化してこれでやって行くしかないと確信したのは一つの成果かもしれない。

療法、つまり、セラピーというと何か病気や症状を治すのであるが、私がやっているのは心の生活を夢に従って整えるということで、体を整える整体に対応して整心と言っても良いかもしれない。

心は身体のようにまとまったものではなく、境界のはっきりしない無限の広がりとつながっている。心を整えると人間関係が整う。人間関係が良くなり人との関係の中で安定し生きる元気が出てくる。病気も悩みも関係ない。それらの治療は医師や弁護士の仕事である。私の仕事はただ自分の内面をひたすら整えることである。

自分の心の中を覗いても何もない。悩みや不足はいっぱいあってどうしようもない。何が本当の深刻な問題なのかもわからない。

頼りは夢や箱庭である。人は夢や箱庭に生じてくるものに従って生きていると健康で生き生きとした生活ができる。お金や人の好意などはあてにならない。あてになるのは自分の中からわいてくる力である。その力は無限に出てくるから人生は何とかなると楽観的になる。

夢や箱庭によって心の井戸掘りができることがこれまでの経験でわかった。過去や内面を深く掘り下げていくと次第にいろいろなことが起こってきて、はた迷惑なことを引き起こす。それらはより良い生活へ向けての改革の一段階で避けられないことである。たとえば離婚のように悲劇的なこともある。しかし、それはもっと満足のいく生活への古いものからの脱却で、避けられない苦しみである。

今年はそういう心の世界を見てきた。

さて、来年は?

来年はぜひとも自分の井戸掘りをしてみたい。

村上春樹さんは次のように言っている。

「・・・はじめは自分のなかにドラマや物語性はないと思っていたから、何かありそうな場所を選んで、とにかく足もとを黙々と掘っていくしかなかった。それを続けていくうちに、足腰が強くなって、物語をより多く引っ張り出せるようになりました。・・・」

これまで面接中にこんなことをエッセイにぜひとも書きたいと思うことがしばしばあった。しかし、いざパソコンの前に坐ってみると何も思い浮かばない。私の中にあるものは面接におけるクライアントとの関係によって引き出されるのであって、私自身がそれを引き出せできないことに気がついた。つまり、書くための足腰が弱く、私の中にある心理学を引き出せないのである。

心理臨床に専念していると研究論文が書けない。本をたくさん書いている人は大体机の上で心理療法を頭の中で考えながらしているのではないか。フロイトはユングへの手紙の中で、「臨床に専念せずに、論文を書きなさい」と書いていた。臨床よりも論文を書くことが大事だとフロイトは考えていたことを知って私は驚いた。フロイトは実践的な精神分析家ではなかったのだ。

私も臨床を続けたいが自分の考えを書き残しておきたい。パソコンの前に坐って書きたいことが次々に出て来て人に気持ち良く読んでもらえるようになりたい。それが来年からの目標である。心理療法のための心の井戸掘り、それに専念できたら良いと思う。人はスポーツジムに通って足腰を鍛えるが私は自分の考えをまとめるために心の足腰を鍛えたい。それは私の健康法でもある。