出会い

私事ですが、先月は天の計らいのような出会いがありました。

ある日施設を訪ねるとある方が私に話をしたいということなのでベッドサイドに訪ねました。入り口にはSという表札があり、懐かしい苗字でした。

その方は、早くあの世に行きたいけれどなかなか往けないとのことでした。そして私は本当に幸せな人生で好きなことを何でもしてきました、楽しいことばかりでしたと言われました。

しかし、父親はその方が生後2週間くらいで亡くなられ、母親は結核だったので風光明媚な海岸の家でお祖母さんと3人で暮らしたそうです。大きくなっては宝塚に友達もできるほどになり、楽しかったということです。

お父さんが早くに亡くなられどうしてそんな裕福な生活ができたのですかと問うと、土地が沢山あったからだということでした。土地はどこですかと聞くと甲東園という答え。ではあの甲東園のS家の関係の方ですかとびっくりしました。そうですという。しかも、その方は神戸のK教授の奥様のお友達だったのです。

私たち夫婦は結婚して間もなく関西に移り私は京都に家内は神戸に勤めることになりました。関西にリュックを背負って来たものの、二人のお給料で借りることのできるアパートが見つかりません。敷金や礼金が高く、私たちにはまとまったお金がなかったのです。困っているところでK教授の奥様の世話で、私たち夫婦はS家の二階の住むことができたのです。その二階の座敷からは宝塚から和歌山まで見晴らすことができました。毎朝、関西の皆様おはようございますという気分でした。階下はもう長年使われたことがなくガラスが曇って中は良く見えませんでしたが、ダンスホールで、よく宝塚の人が来てダンスパーティが開かれたということでした。庭は広く椿園や池がありました。そのS邸は阪神淡路大震災で壊れ、今大正時代の和洋折衷の家として明治村に復元されています。あの大阪平野を一望できる景色がないのは残念です。せめてその写真でも中に展示してほしいと思っています。

そこに3ヶ月近く住み、1DKの公団住宅に入ってやっと自分の身の丈に合った住まいに居つくことができました。

私たちが関西に来て住むところもなく、京都島原の昔遊郭だった旅館に泊まって過ごしていた生活から私たちを救ってくださったのは、私が先日ベッドサイドに訪ねたお年寄りだったのです。私たちは本当にこの方のご厚意で関西の生活が始まったと感謝していました。その方会うことができたことを天の神様に感謝したい気持ちです。不思議な出会いでした。

 

その週末、今度は東京代々木に昔お世話になったIさんご夫妻を訪ねました。40年ぶりでした。

このIさんご夫妻には私たち一家に対するとても温かいご厚意を感じていました。そのご厚意の暖かさがなんとなく心の底に届いていて、私たちの生活の守りの一部になっていました。この世の中には温かい人があるという信頼感、それは生きていくうえでの支えになりました。

40年ぶりにお会いしたご主人は90代半ばで、しかも私の来訪を心待ちにしてくださっていたのです。そこでいろいろ昔話を聞きました。その方は私の姉婿、私たちの義兄とは中国戦線の戦友で、その後も互いに助け合い励まし合って過ごしてこられたのです。その方の私たちに対する暖かいお気持ちは、互いに義兄弟と言えるような信頼と助け合いの関係のおこぼれだったということがわかりました。私たちまで大事にしてくださって本当にありがたいことだと思います。

人の暖かいつながりはこうして人に伝わっていくのだということを実感しながら今思い出してこれを書いています。