最近、印象に残ったことの中では、何事も自分の思い通りにしたい仕切り屋のお母さんが思い浮かぶ。塾も勉強も部活も友達のこともすべて気にかけていて、子どもはいつも母さんの視野の中にある。子どもはお母さん第一だから、お母さんの期待通り、云う通りにしようと思う。自分の心の中よりもお母さんの期待に目が向いている。そいう生活が生まれてからこの方ずっと続いて、自分らしい自分を育てられなかった子どもたちが私の前にやってくる。
あるお母さんは、私があまりがみがみ言い過ぎたのがいけなかったのでしょうかと言われる。お母さん自身ががみがみと感じているのだから、それをどこかで止めれば良かったのにと思うのだが時すでに遅しである。
強いお母さんは仕切り屋的だから物事を単純な論理でしか考えない。
心療科の薬物療法と並行してカウンセリングもと考えるが、大体心療科にかかると、もはや心のことは見えなくなる。
原理原則の色眼鏡をかけているお母さんには、もやもやした心は見えない。心はもやもやした、何とも先の見えないものである。あやふやである。あやふやに耐えられないから仕切り屋の強いお母さんになっているのである。そういう人にあやふやな心を理解してもらうのは難しい。
そのあやふやした心を大切にする私たちと強いお母さんとは合わない。
強いお母さんにはきちんと話し合う認知行動療法が良いのだろう。認知行動療法はあやふやな心なんか問題としないから、自我の独立などは問題にならない。今のものの考え方では、心よりもお金や成果や格好良さが重視されるから、それに合うように認知し行動していけるようにと仕向けていくことになる。
もやもやした心を重視する私たちは子どもたちに自分の心を取り戻させたいと願う。そこで子どもに箱庭を作らせ、お母さんに見せて、ここが問題ですと説明してわからせないといけない。わかってくれたら、私たちの心を育てる仕事ができるのではなかろうか。強いお母さんには私たちも強く対決しなければならない。疲れる仕事になってきた。
(ここまで書いて朝寝して夢を見た。その夢の警告の解釈も読んでください)