村上春樹『1Q84』を読む 2 -システムの中の生き方ー

 Book1はプロの殺し屋青豆が先ず登場する。彼女は麻布の丘の上にあるお屋敷に住む老婦人の頼みで、DVで痛めつけられた女性の夫の脳を背後から一瞬にさして傷跡も残さず殺してしまう。男はあたかも心臓発作を起こしたように死んでしまう。

 殺し屋青豆は信仰に生きる母親に育てられ、学校でいじめられ、その苦境で自分に配慮してくれた同級生の男の子に恋をしてしまった。彼女はあるチャンスを見つけ男の子の手を取って固く握りしめ去って行った。親友も恋人も無い青豆にはその男の子が唯一の人間らしい存在であり続ける。

 手を固く握りしめられた男の子、天吾には彼女の温かい手のぬくもりが残った。彼もその温かいぬくもりをずっと心に抱き続けている。

 天吾は塾の数学の講師で小説を書いている。小説を書いている関係で出版社の新人賞の選考準備をする編集者の手伝いをする関係で、候補作品『空気さなぎ』に出会う。この作品のアイデアは良いが文章が成っていない。二人は話し合いの末に天吾が作品を書きなおして新人賞の候補作品に仕上げ、結果として『空気さなぎ』見事新人賞を受賞する。その結果天吾は『空気さなぎ』の著者ふかえりこと深田絵里子につながる秘密結社『さきがけ』に長い手の先に触れることになってしまう。

 麻布のお屋敷の老婦人が動かす組織もDVに傷つく者を助け、DVを行う悪者をやっつけるという意味で一つのシステムを持っており、老婦人のボディーガードを務めるタマルと共に青豆はシステムの中に生きる一人の専門職の人である。一方、天吾は塾講師でまだ作品が売れていない小説家でありシステムに入っていない人である。

 この物語はシステムに生きる青豆とシステムには絶対入ろうとしない天吾のものがたりで、システムに入っていた青豆は死ぬほかに生きる道が無くなり、システムに入らなかった天吾は空気さなぎの中に青豆を見つけ、彼女を探しに出かかる決意をしたところで物語は終わる。

 ある女性はここから物語は始まるはずだと言い、ある女性記者はこの続きが絶対あるはずだと小説発売間もない時に書評を新聞に書いていた。また、ある若い女性は、私は青豆のような性格です、だからどうしても青豆に生きていてほしかった、どうして青豆は死ななくてはならなかったのですかと言った。これに対して、その時は、月が二つある世界からこの世に帰ってくるには死ななければならないのではないかと答えるのがやっとだった。

 男性である私は、天吾が空気さなぎの中で青豆に出会ったことで青豆と天吾の物語は終わったと思った。それ以上に何が必要かと思う。空気さなぎの中の温かい手のぬくもりと青豆のたましいさえあれば、青豆を見つけるために男は生きていけるのだ。システムにはまっていない男は青豆のように完璧に自己統制し、システムの目的に向かって一途に生きて行くのも一つの生き方である。システムに嵌り込んだとき青豆のように死ななければならないけれど。

 この後の青豆と天吾が出会う物語は愛し合う男と女の物語、つまり、案外『ノルウェーの森』のようなことになるのではなかろうか。それは女性の望む恋愛物語である。

しかし、それはすでに書かれてしまった。私が期待するのは空気さなぎの青豆を心に抱き続ける男、システムに嵌り込んでついには自分を失ってしまう男性の物語を書いてほしいともう。それは過労死、あるいは、過労に自ら嵌り込んで自死する人の話である。