権威に頼る父親の弊害

 ヨーロッパの旅から戻ってきたAさんの話。タクシーの運転手さんが日本の女性は旦那さんを尊敬しているからいいと言ったので、こちらの女性も優しいのではないかと言ったら、とんでもないと、手を振って打ち消すような仕草をしたということであった。

 権威ある父親が居て、母親が父親を尊敬し、何事も父親の言うとおりに従っている家庭を思い浮かべてみると、私の相談事例ではうまく行かなかった事例が次々に思い浮かぶ。

 一方、母親が力を持っている家庭を考えると、これも強すぎるお母さんというのがいて息子ばかりでなく、娘が困っている事例も少なくない。

父親と母親が対等でバランスが取れていた方が良いと頭では考えるが、実際は父親も母親も居ないような、子どもたちがのびのびと暮らせる家が良いと思う。

父親はお金を稼いでみんなが安心して暮らすことができ、母親はご飯を作って食べさせてくれたら良いのではないか。勉強や遊びも掃除選択も適当で、みんなが気持ちよく生活できるようにやれたらよいのではないか。

 ああすべきだ、こうすべきだと仕切るのは、大方母親の方である。仕切る母親は強い。かかあ天下の家である。かかあ天下だと大体納まりが良いのではなかったか。内実はかかあ天下でも表向きのときは父親をたてるのが日本の家庭であった。

以前にもどこかで書いたが、特に教育熱心な父親は母親の力を弱め、頼りがいのない母親にしてしまうので良くないと感じる。

 子どもは心理相談室に来たがっているのに、父親が神経科や心療内科という医療系を優先し、カウンセリングが中断するという事例が昨年はいくつかあった。有料の相談室は料金が高いので、それも判断の一つになっているかもしれない。子ども本人の稼ぎで相談室に通えないのが残念である。権威ある父親は権威あるものをありがたがり、権威のないものはなきに等しい。子どもが求めていても、その道を塞いでしまう。それが父親の弊害である。親や教師は自分が低く評価しているものに子どもが向うとき、子どもの意見を聴かないで簡単に大人の考えで判断してしまう。カウンセラーも学んだ心理学で判断してしまうかもしれない。ここに権威の弊害が現れる。

世の人々に信頼される力量に裏づけられた権威を持つようにならねばならない。精神分析もユング心理学も未だ世の人々に理解されるような学問体系を持っていない。余りにも難しすぎる。例えば投影性同一視など投影とどう違うのか私もわからない。来談者中心療法も動作法も治療の方法ではあるが、心を理解する心理学の体系というほどのものを持っていないのではないか。あまりに単純すぎるのではないか。臨床心理学は未だ若く、心の現象を説明することができないと思う。理論を作った上で、なお心の真実を見極める姿勢が作られなければならないのではないかと思う。

 一方、母親が力を持っている家庭を考えると、これも強すぎるお母さんというのがいて息子ばかりでなく、娘が困っている事例も少なくない。

父親と母親が対等でバランスが取れていた方が良いと頭では考えるが、実際は父親も母親も居ないような、子どもたちがのびのびと暮らせる家が良いと思う。

父親はお金を稼いでみんなが安心して暮らすことができ、母親はご飯を作って食べさせてくれたら良いのではないか。勉強や遊びも掃除選択も適当で、みんなが気持ちよく生活できるようにやれたらよいのではないか。

 ああすべきだ、こうすべきだと仕切るのは、大方母親の方である。仕切る母親は強い。かかあ天下の家である。かかあ天下だと大体納まりが良いのではなかったか。内実はかかあ天下でも表向きのときは父親をたてるのが日本の家庭であった。

以前にもどこかで書いたが、特に教育熱心な父親は母親の力を弱め、頼りがいのない母親にしてしまうので良くないと感じる。

 子どもは心理相談室に来たがっているのに、父親が神経科や心療内科という医療系を優先し、カウンセリングが中断するという事例が昨年はいくつかあった。有料の相談室は料金が高いので、それも判断の一つになっているかもしれない。子ども本人の稼ぎで相談室に通えないのが残念である。権威ある父親は権威あるものをありがたがり、権威のないものはなきに等しい。子どもが求めていても、その道を塞いでしまう。それが父親の弊害である。親や教師は自分が低く評価しているものに子どもが向うとき、子どもの意見を聴かないで簡単に大人の考えで判断してしまう。カウンセラーも学んだ心理学で判断してしまうかもしれない。ここに権威の弊害が現れる。

 世の人々に信頼される力量に裏づけられた権威を持つようにならねばならない。精神分析もユング心理学も未だ世の人々に理解されるような学問体系を持っていない。余りにも難しすぎる。例えば投影性同一視など投影とどう違うのか私もわからない。来談者中心療法も動作法も治療の方法ではあるが、心を理解する心理学の体系というほどのものを持っていないのではないか。あまりに単純すぎるのではないか。臨床心理学は未だ若く、心の現象を説明することができないと思う。理論を作った上で、なお心の真実を見極める姿勢が作られなければならないのではないかと思う。

 

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