カウンセラーの生き方

 昨年は藤見幸雄さんにご自身の事例を檀渓心理相談室の研究会で発表していただいた。今年は今月大住誠さんにご自身の事例を発表していただくことにしている。お二人ともオリジナリティーのあるカウンセラーだと思う。私設相談室の心理面接で生活を支えていらっしゃる先生たちである。雇われのカウンセラーではなく、カウンセラーとして独立してるという気概があると思う。スクール・カウンセラーでもそのような独立の気概がある方も多いと思うが、頼るものが自分以外にないということは強さの一面を補強している。著書もいくつかある。藤見先生は現在雑誌『臨床心理学』に「プロセスワーク」を連載中である。

 先生方の論文を読んで感じたことは、お二人の先生が河合隼雄先生とはほどほどの距離をとってご自身の考え方や生き方を作ってこられたということである。ほどほどの距離があったためにご自身のアイデンティティができたのではないかと思う。

 私は雑誌『臨床心理学』1月号に書いたことでわかるように河合隼雄先生がスイスからお帰りになってすぐからずっとそばにいて、先生がご自身の心理学を敷衍していかれるのを肌で感じてきた。そのために京都を離れ名古屋に行く前には河合隼雄先生と一体になるほどに精神的に融合していた。それは別れの夢にも出てきたので先生も驚いて居られたが、私の方ではその融合を切り離し、オリジナリティーを築くのに大変だった。そのために名古屋での最初の10年くらいは河合隼雄先生のご著書はあまり読まないようにしていた。著書は戴くので読むのだが、読み入るという感じではなかった。これも聞いた、あれも聞いたという感じで新鮮さはなかった。

 上記の雑誌の樋口和彦先生の文章を読むと、先生も河合隼雄先生の偉大さに飲み込まれるのが怖くて先生の著書をあまり読まなかったと書いて居られ、同じような体験をしておられると思い、私だけではなかったのだと安心した。

 あるときから河合隼雄先生の本を読むようにした。しっかり読んで重要なところには付箋もつけるようになった。それがどうであろう、上記の雑誌のエッセイを書く段になってもう一度いくつかの著書を読み直してみたらさっぱり憶えていないのにはびっくりした。ボケが来たのかとも思うが、それだけではなさそうである。

 自分のオリジナリティーを作りたい一心でやってきたために、人の考えを引用することが極端に嫌になっていたことに、藤見先生や大住先生の論文を読んで気がついた。これがこの正月のショックな出来事であった。そのために風を引きそうになり、右目が充血した。右目、それは私の利き目ではないが、右、すなわち、外向きの心の目が傷んでいるというという警告ではないかと考え、そのことを考えるのがこのお正月の課題だと思った。

 河合隼雄先生との融合を解消するために、そして自分を一から作るために頑張ったことが、日本の学問風土に合わない自分を作ってしまったのではないかと思う。

それで私のような生き方をした人が他にないかと見まわしてみると、いるいる。パートではあるがカウンセラーとして生計を立てている人たちのなかで、生き生きと自分らしく仕事をしている人たちが沢山いる。頼れるカウンセラーである。この人ならこういうクライエントは任せられるのではないかと信頼を置ける人たちがあるのはうれしいことである。論文を書く研究者ではないが、頼れる仕事師である。これらのカウンセラーはスーパービジョンを受けているが、スーパーバイザー一辺倒ではない。自分のカウンセリングを行っている人たちである。

 定年退職をして仕事師のカウンセラーになりたかったけれど、こうしてエッセイを書いていると、どうもそれに徹することはできないようである。

 書くといっても、藤見先生や大住先生ほどしっかりとユングやミンデルの論説を土台にして書くことができない。論文は不可で、エッセイしか書けない。エッセイは自分一人の世界である。エッセイでは学問の世界は生きられない。

 氏原寛先生は論文のどこかで、ウイニコットの人間は“二人で一人”という言葉を引用して居られた。このウイニコットの“二人で一人”という言葉が妙に心に残っている。二人の一人は連れ合いか、友人か、ユングか、フロイトか、河合隼雄先生か、それなら横の関係である。

 マルティン・ブーバーの『我と汝』を思い起こす。この我と汝を、「私とあなた」と横軸で考えていた。ところが、タゴールの詩を読むと神様のことを「あなた」と書いてあった。我と汝の汝は神様のことであった。ブーバーは縦軸で考えているのである。

 私はどうも、自分を支えるのものとして聖なる超越者を考えていたので(河合隼雄先生は頼ることを許さない人であった、自分のことは自分でやれという主義で徹底していた)、ほとんど横軸のことを無視してきたのではないかと思った。他の人は他の学者の考え方で自分の考えを補強する。それが学者のやり方であるし、礼儀であるらしい。でも、私は、自分を支えるものを何か超越的なものにしたいと思う。

 私の尊敬する動物行動学者今西錦司やコンラート・ローレンツはオリジナリティーがすごい。『攻撃』の終わりの方で、ローレンツは、毎朝今までの科学的な考え方は果たして正しいだろうかと、既製の考え方を噛み砕くことにしていると書いていたように思う。私は河合隼雄先生の考えと違う自分の生き方を作るのにこのローレンツの言葉を支えにしてきた。だから、みんながグレートマザーだ、死と再生だといっているとき、果たしてそうかと考えた。私はそれらの概念を自分のなかでもう一度組み立てなおすことをしてきた。それが今に役に立っていると思う。

 私は今西錦司やローレンツに拠っていて、人間を動物として見て来た面が多かったと思う。これまでの臨床心理学は精神の世界として心を見て来て、動物的なところを無視していると思うので、ここを開拓していくことが私のこれからの仕事だと思った。これが私の正月であった。