心は未知の世界である。この世界を探求するのにこれまではフロイトやユングの心理学に頼ってきた。フロイトやユングの心理学の概念や力動的な心の構造理論や機能を考えてそれをクライエントの心理に当てはめてきた。だから精神分析の難しい言葉を覚え、ユングのイメージの象徴や元型の機能を知ることを先ず考え、その理論的枠組みで心を見てきた。
この方法でクライエントの心の世界に分け入ると、理論で見える以外のところはなかなか見えにくいのである。そこで、これまでの精神分析やユング心理学の理論を捨て、術語や心理の基本的な法則で利用できるものを携えて、クライエントの心の世界に分け入ってそこを探検するような生き方をすることにした。
クライエントが経験してきたこと考えていることをつぶさに見ながら、クライエントが生きてきた過程を調べ、当面している問題をできるだけしっかりと見ることが大切にする。当面している問題がしっかりと見えてくるとクライエントは意外に元気になって意欲的になる。そこが好いところである。
本当の問題の発見がクライエントを元気にする。すなわち、「答えは問処にあり」というわけである。河合隼雄先生が『未来への記憶』で言っておられることがやっとわかった気がする。本当の問いに行き当たったとき何かが動き出し、一所懸命になる。そこから何かが生れてくるのではないか。
クライエントが元気になるような本当の問題を見出す心理面接、それはクライエントの心の世界の探検みたいなものである。このような面接をしていると毎日の面接が発見の楽しみに満ちていて活気が出てくる。
クライエントと共感し、苦しみを共にすることを目指す人は自虐的な性格に見えてくる。確かにクライエントが当面する問題を見ると、この先どうなるかと思うが、クライエントと共に生きる道を探すことを始めると、またどのような道が開けるかと楽しみになる。
この未知の世界へ向って周到な準備をした探検の態度こそわれわれ臨床心理士の専門家として必要なものではなかろうか。フロイトやユングに拘っている限りこの自由はない。われわれもまたクライエントと同様に心の中をつぶさに見る謙虚な態度を持ち、深く深く内面に関わることを誰か、できればスーパーバイザーと共にすることが大切だと思う。それなしにはクライエントとの共同作業はできないのではなかろうか。周到な準備とはカウンセラー自身の被分析体験やスーパービジョンによってなされると思う。