新しいものを取り入れるのには時間がかかる方だ。なじみのないものにはなかなか手を出さない。用心深いとも言えるし、変化を嫌う柔軟性のなさ、あるいは適応能力の低さを示しているとも言えるだろう。単に面倒くさがりでなまけものなだけ、とも言えるかもしれない。
新しいものは次々出てくる。ものだけではない、新しい言葉や表現も次々出てくる。なかには全く知らないまま消えていったり変化していったりする言葉もたくさんあるだろうが、逆にいつの間にか市民権を得てひろく使われるようになる言葉もある。「推し」という言葉もそのひとつだろうか。特定の人やものに好感を持ち、それを強く支持・応援するようなことを指す言葉だ。ごく最近の言葉だと思っていたが、改めて調べてみると1990年代頃に特定のアイドルのファンの間で使われるようになったのが始まりらしい。数年前には新語・流行語大賞の候補にもなったらしいが、実際によく見聞きする言葉だ。既に一般に広く知れ渡っていると言えるだろう。
自らこの言葉を使ったことはない。言葉の意味は知っていても、自分で発するには微妙な違和感があるのだ。この言葉に問題があるのではない。今までこの言葉がなくても特に苦労することがなく生きたてきた。そこに新しいものを取り入れようとすると、今までのやり方を変えなくてはいけなくなる。これまで使い慣れてきた言葉をなくして新しいものに置き換えることになる。そういった頭の中の作業がどうにも面倒に感じてしまうのだ。
ユングが提唱した概念のなかに「外向」「内向」という言葉がある。ユングの心理学的タイプ論を理解する上で重要な概念なのだが、微妙な誤解を伴って理解されることが多いように思う。外向的傾向の高い人というのは社交的で積極的・活動的である、内向的傾向が高い人というと思慮深いが内気で引っ込み思案である、というようなイメージを持たれることが多い。
ユングの言う外向・内向は、こころのエネルギーが外に向かうのか、内に向かうのかを考える。つまり外向的な傾向が高いというのは、外部の刺激にエネルギーが向きやすい、外に注目しやすいということになる。例えば周囲の状況や他人の様子に目が向き、そこから得られる情報をもとに物事を考えたり行動したりしやすい。内向的な傾向が高いというのは自分の内側にエネルギーが向きやすいということで、自分のこころの動き、自分が抱いた印象や気持ちを基本に物事を判断しようとする。
こういったユングの考え方に従えば、新しく出てきた言葉に違和感を持つからこそ自分のやり方を変えてまで周りに合わせようとしない、というのは、内向的な傾向の特徴の表れだと考えることができるだろう。外向的傾向が高い人だと、周囲が使っている言葉を積極的に取り入れ、抵抗感なく自然に使えるのかもしれない。
外向・内向は、どちらがより優れているとか劣っているとかというものでもない。もともとのこころの傾向、心理学的なタイプを言ったまでのことだ。理想を言えば、一方に偏るのではなく、どちらの傾向も取り入れられるといいのだろう。内向的だと思う人は、もう少し外に関心を持ち、外向的だと思う人は、もう少し自分の内側に目を向けるように、それを意識するだけでもいい、そうすることで例えば異なったタイプの人に対する理解が進むのではないか。
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