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かたちとこころ

 面接室に新しい机と椅子を入れて半月ほどたつ。安い買い物ではないのに勢いで決めたところもあって、購入後、品物が届くまでの間に本当に良かったのかと不安になっていたのだが、実際に使い始めるとそんな気持ちは吹き飛んでしまった。

 中身はもちろん大事だ。いくら設備が整っていて外見がきちんとしていても、それに伴う中身がなければ相談室を続けていくことはできない。何より心理士としての自分が満足できない。技術と能力を高めて更に良い仕事をしたいという気持ちはいつもある。それは心理士としての欲とも言えるかもしれない。

 今まではどちらかというと中身、自分の技術と能力を高めることばかりに意識が向きがちだったが、経験を積むにしたがって、中身だけでは片手落ちかもしれないと考えるようになった。視野が広がってきたということなのかもしれない。気持ちや意欲があればそれでいいというのではない、目に見えるところに意識を向け、表面を整えることも大事なことなのではないだろうかと考えるようになった。

 そんな考えもあって机と椅子を新調することになったのだが、実際に使い始めてみると、表面が整うことで内面も整っていくところが確かにあると感じる。表面と中身、かたちとこころ、目に見えるものと目に見えないもの、どちらが原因でどちらが結果というものでもないが、どこかで密接な関わりがあるのだろう。

 エッセイストとしても活躍し、河合隼雄先生とも交流が深かった白洲正子さんは骨董についても造詣が深く、自らが選んだ骨董や織物などを扱う店を持っていた。彼女の骨董の師匠は青山二郎という人で、「いまなぜ青山二郎なのか」(新潮文庫)という本も書いている。白洲正子さんによれば師匠・青山二郎は安直な精神論に流れることを嫌い、良いもの、本物は必ずかたちに表れるとして、そのかたちを見出す力養うことの必要性を意識していたらしい。良いもの、本物を見出すためには、見出す側にそれと対応するものがなければ見つけることすらできない、だからこそ良いものを見出す力を養わないといけない、ということなのだろう。本当の美しさを見出そうとする指導は非常に厳しく妥協を許さないもので、白洲正子さんにとっては“命がけ”の学びだったようだ。実際、途中で体調を崩し寝込んでしまったこともあったというが、そこで修行をしたからこそ、東京の銀座のど真ん中で店を構えてやっていけたのだろう。

 かたちが整うことで気持ちが作られていくこともあれば、内面が整うからこそかたちが見えてくることもある。目の前のものに対応する何かが自らの中になければ、そこにあったとしても見出すことができない。そう考えると、自分の目の前に見えている世界は、自分のこころがそのまま映し出されたものだとも考えることができるだろう。

 

 

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