将棋の世界で長く活躍をされた加藤一二三さんが亡くなられたとのニュースがあった。
将棋に詳しいわけではないが、それでもなんとなく加藤一二三さんのことは知っていた。様々な記録を持つすごい棋士で、ずいぶん長く現役の棋士として活躍したということの他に、敬虔なクリスチャンであること、チョコレートを好んで食べることなど、将棋とは関係のないことも聞いたことがある。テレビはあまり見ないが、それでも「ひふみん」としていろいろな番組やCMに出演していたことは知っていた。
そんなこともあって、いくつかの追悼文に目を通した。改めて加藤一二三さんはびっくりするようなエピソードをたくさん持っている魅力的な人だということを知ったが、中でも師匠を破門にしたというエピソードには驚いた。
プロの棋士になろうと思ったら、まずは現役の棋士の中から師匠を見つけて弟子入りすることが絶対の条件らしい。師匠が指導者となるのはもちろん、将棋の世界における一種の身元引受人ともなるようで、師匠と弟子の間にはそれなりに特別で緊密な関係が生じるようだ。
将棋だけでなく、他にも歌舞伎や華道などで徒弟制度が敷かれているが、例えば不祥事を引き起こしたり、師匠の方針に逆らったりするなどして師匠から破門を言い渡されるようなこともあるらしい。ただ、将棋の世界では実際に弟子が破門されたということはほとんどないという。
ところが、加藤一二三さんは50代後半になって突然、師匠との師弟関係を解消すると将棋連盟に申し入れたのだという(誰が師匠なのかきちんと届け出るもののようだ)。師匠が亡くなってからの申し出で、どういう理由でそういうことになったのか明確な理由は今に至るまで不明らしいが、当時は認められなければ裁判に訴えるとまで言ったようだ。その勢いに圧倒されたのか、弟子が師匠を破門するという前代未聞の申し入れは結局認められた。
現役棋士の追悼文を読んでこのエピソードを知り、びっくりすると同時にすごいなと思った。すでに亡くなっているとはいえ、師匠に逆らうような行動である。現行の制度や常識にも反するような態度だとも言える。批判は必ずある、それは簡単に想像がつくはずだ。
客観的に見て、師匠を破門にしなくてはならないような事実があったのかどうかは分からない。しかしこれだけのことをやってのけたからには、そうしなくてはならないという強い思いがあったのだろう。何を言われても、どう思われても自分の信じる道を歩もうとする力強さを感じると同時に、師匠が亡くなってからの、しかも50代後半、すでに現役を退いてもおかしくはない年齢で実質的にはほぼ師匠を必要としなくなっている状況での行動、というところにそれなりの慎重さも感じられ、考えに考え抜いた上での大胆な行動だったのでは、とも思った。
自分の思うところを実行しようとする時、それをすべての人に認められることを期待することはできない。時には皆に反対されるようなこと、批判されるようなことでもどうしてもやらなくてはならない、ということもある。その時に自分を信じて力強く歩んでいけるか。ただ無鉄砲に突き進むのでもなく、情熱を持ちながらも慎重さを失わずにいられるだろうか。
人はひとりで自分勝手に生きていくことはできないし、人とつながっていくことももちろん大事だ。しかし自分が自分として生きていくために、どうしても必要なこともある。「ひふみん」のエピソードからそんなことも考えた。
