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こころのメンテナンス

 カウンセリングでは、目の前の具体的な問題について話し合うことも多いが(例えば、不登校の状態の子どもにどう声を掛けたらいいのか、会社にいつから復職をしようか、何のアルバイトをしようか、などなど)、そういったひとつひとつの問題は全て、これからどう生きていったらいいのかという大きなテーマに結びついていると言える。カウンセリングに来るのは多くの場合、何か問題が起きた時、そしてそれに対してどうしたらよいか分からないという時だが、そういう時はたいていこれまでのやり方がうまく行かず、何かしらの変化を迫られているのだ。目の前の問題に対して、これまでの固定化された考え方にとらわれず、その場でひとつひとつ考えて対応していかないといけない。そしてその積み重ねが、今後の自分自身のあり方・生き方を作り上げていくのだろう。

 「これからの生き方を考える」というとなかなか大変でおっくうなことに感じるが、しかし人生の中では時々、少し立ち止まってゆっくり考える機会も必要だろう。何でも長く使えばいろいろ不具合が出てくるのは当たり前なのだ。車も定期的に整備しないと安全に走ることはできないし、時計(今のスマートウォッチではなく、昔からあるタイプのもの)も時々分解修理することが必要だと聞く。何か問題が起こってきた時に少し立ち止まり、普段は考えないようなこともひとつひとつ取り出して改めて見直すことがその後の人生を生きる上でも重要になるのだと思う。

 改めて考えることが必要な時期があるのは、もちろん私たち理士にとっても同様のことだ。以前、心理臨床学会に参加した時に教育分析をテーマにしたシンポジウムに出たことがあるが、企画者の北山修先生が、しきりに教育分析はいいものです、皆さん分析を受けましょうと強調していたのを思い出す。別のところで河合隼雄先生がやはり教育分析について話をされていたのも覚えているが、ご自分も何度か、必要だと思うときに分析を受けられたことがあると話をされていた。自分の人生について真剣に考える機会が持てるのはやはり「いいもの」だと言えるのではないか。

 一方で、「カウンセリング」「分析」といった大げさなものでなくてもいい、時々、生きることについてあれこれと気軽に話し合えるような場があると、少し楽になるところがあるのではとも考える。友人や家族との食事やお茶の場面、何なら飲み会のような場でもいい、普段はなかなか口にできないけれど、こころの少し奥の方で感じていること、気になっていることをあれこれ話す。生き方について考える、などと大上段に構える必要もないだろう。程度の差はあれ、生きていく上で不安や困難、孤独を感じない人はいない。平気な顔をしているかもしれないが、誰もが時にはちょっとした人との違いについて敏感に反応して不安に陥ったり、生き難さを感じたりするものなのだ。

 話をしたところでそういった困難さが消えるわけでもない。後からああ言えばよかったとか、ちょっと言いすぎたとか、あれこれ後悔することも時にはある。しかしそれでもやはり人と話をして時間と空間を共有することで小さな支えを得られることもある。カウンセリングのように集中して考えて、というものではないが、日常生活におけるちょっとしたこころのメンテナンスのようなもの、と言えるかもしれない。こういった日常生活のなかのちょっとした人との関わりで、私たちは自分を調整し、バランスをとり、少しずつ前へと進んでいっているのではないだろうか。

 

 

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