たまたま平成初期のテレビのニュース映像を見る機会があった。今から35年ぐらい前の映像だが、アナウンサーの声の出し方・話し方がすでに一昔前のものと感じられることに軽く衝撃を受けた。戦後の白黒のニュース映像や映画などを見ると、声色や話し方が今とは全く違って古めかしさを感じる。そこまでのはっきりとした違いではないのだが、しかしやはり時代の変化を感じさせる違いが確かにあった。
一緒に見ていた同年代の友人に後から感想を伝えたところ、彼女も全く同じことを感じたようで、我々が学生時代を過ごしていた平成初期はすでにもう昔のことになったのだという当たり前のことに改めて気づかされた。
声色や話し方などは、人々の考え方や生活スタイルに直接的な影響を受けるものでもないと思うが、意識しないところで確実に変化していくものなのかもしれない。考え方や価値観などに関わるもになれば、なおさら大きな変化があるのだろう。
先日、運転中にラジオの音楽番組を聞いていていいなと思う曲があった。ぜひCDを手に入れてゆっくり聞いてみたいと後からインターネットで検索してみた。今はネットを見るとどんなものでも買った人・利用した人の評価が分かってしまう。便利なこともあるが、中には読まないほうが良かったと思うようなコメントも珍しくない。どんな人がどういう視点で評価しているか分からず、どれをどこまで信じていいかも分からない。
そのCDに関してもトップにとても批判的なコメントが掲載されており、自分が実際に聞いて気に入っていたこともあって、残念な気持ちになってしまった。世の中にはいろいろな考えの人がいるし、いろいろな見方があるとは頭では分かってはいるが、それでもやはり自分が気に入ったものに対して批判的なコメントを見るとかなりがっかりした気分にはなる。
ビゼーという作曲家がいる。彼の作曲したオペラ「カルメン」は初演の時には大不評で、途中で帰ってしまった客もたくさんいたと聞いたことがある。不評を買った理由はいろいろあるのだろうが、ストーリーが当時の社会では「非道徳的」と感じられたことも大きかったらしい。このことが直接の原因だったのではないだろうが、ビゼーはその後36歳という若さで心臓発作で亡くなっている。
今では「カルメン」はオペラの中でも最も有名な作品のひとつだと言えるだろう。オペラ内の音楽は誰もがどこかで一度は聞いたことがあるような有名な曲のオンパレードだ。人の評価というのは変わりやすく、時間の経過と共に気がつかないうちに変化しくものも多い。だからこそ人の評価に左右されず、自分が良いと思うものを良いと思って大事にすればいいと思うのだが、一方で、それはそれで難しいことのように感じる。様々な意見や評価が入り乱れている中で、自分の感覚に自信が持つことができるだろうか。
もし自分がビゼーが生きていた時のフランスに生きていて、「カルメン」の初演を見に行くことができたとしたら、自分はその場でどうしただろうか。人々が途中で退席する中、自分は最後まで席を立たずにいられただろうか。今、この社会に生きている私は「カルメン」というオペラが好きだと思っているけれど、「カルメン」のストーリーを「非道徳的」と考えるような社会に生きていたとしたら、そのオペラをどう見てどう思いどう行動しただろうか。
自分の思ったことを大事にして行動したいと思うが、それを貫くことの難しさも感じる。正解はないのだろう。その時、その場で、自分なりに考えるしかない。もし皆と同じように途中で退席したとしても、せめて席を立ったということをそのまま認めることだけはしたいと思うのだが、それも難しいことなのだろうとも思っている。
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