こころのささやき

長谷川泰子

 

 今年は桜が遅く、相談室周辺の桜もまだ残っている。近くの通りに植えられている八重桜も満開が近いようだ。

 春になり先日はツバメを見かけた。鳥を見るのは好きで、しかしだからと言って鳥を見分けることができるわけでもなく、鳴き声を聞いて鳥の名前が分かるわけでもないのだが、外を歩く時はなんとなく鳥に注意が向く。別に変わった鳥が見たいとか、珍しい鳥を探したいわけでもない、すずめがえさをついばんでいるのを見たり、ツバメの子どもが巣で親ツバメの帰りを待っているのを見たり、それだけで満足だ。

 意識をしなければ普段は鳥の鳴き声はあまり耳にも入らないが、ちょっと注意を向けると、いろいろな鳥の声が聞こえてくる。先日も相談室近くのコンビニまで行こうと外に出た時に、姿は見なかったがおそらく2羽の鳥なのだろう、会話をしているみたいに鳴き交わしているのを聞いた。相談室近くは交通量の多い道路に近いものの、その反対側は川に面して木も多く、鳥も来ているのだろう。

 普段耳まで届いているはずなのに、意識しなければ聞こえないのは私たちのこころのささやきも同じだ。自分のこころの声なのに、「~すべきだ」というような強制、「~に違いない」という思い込み、「私なんて」という自己否定、逆に「私が一番」という思い上がり等々、そういった大きな声にかき消されるとまるで聞こえなくなってしまう。

 カウンセリングはこころの奥のささやきを聞き取るようなものだ。時には、奥に引っ込みすぎて、どこにその声があるのか、その存在さえも分からないことがある。まずはその声を探り当てることから始めなければならない。自分のこころのささやきを無視することは、自分自身を無視するようなことだとも言えるだろう。

 こころの奥底のささやきは、耳を傾けなくても、注意を払わなくても、決してささやきを止めることはないらしい。聞き入れるまで熱心に、あるいは執拗に、あきらめることなくささやき続けてくれている。ささやきはどんなに小さくても、意外と力強いものだと言えるかもしれない。

 

 

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