食らいつく

長谷川泰子

 

 かつて「地球の歩き方」を出版していた会社が倒産したというニュースを聞き、このガイドブックを利用していた時の頃を思い出した(ちなみに今は「地球の歩き方」は別の会社から出版されているそうである)。

 旅が好きで、30代の頃は1人で海外に出かけることもあった。ツアーにはのらず、個人で予定を組んで行動する。今のようになんでもスマホがあれば何でも調べられるような時代のちょっと手前の時で、「地球の歩き方」は重要な情報源だった。飛行機やホテルを自分で探して予約するのは手間だし、トラブルがあっても1人で対処しなくてはならないので苦労もあったが、自分の好きなように行動できるのが何より楽しかった。

 海外一人旅をはじめた頃に最も苦労したのが食事だ。1人で店に入って食事をすることには特に抵抗はなかった(ふだんからしょっちゅうやっている)。好き嫌いもないので余程のことがない限り現地の食事が口に合わないということもない。ただ、海外では量の多さに閉口することがしばしばあった。

 1人でも気軽に入れる、値段も手ごろで、それなりに人が入っていそうな店を探すとなると、結局は安くておいしい地元の人のための食堂のような店に行きつく。日本でもそうかもしれないが、こういうところはたいてい量が多い。海外だと、私からしてみるとあまりにも豪快すぎる量の多さであることが珍しくなく、びっくりを通り越し、恐れをなすようなことがしばしばあった。例えば、ピザの店に入った時には、日本の宅配ピザのMサイズ(あるいはそれ以上?)程度の大きさのピザが1人分としてでてきた。周りの人を見ると、皆それを当たり前のように1人で平らげて、そのあとにはデザートにアイスクリーム(これも日本のカップアイス2~3個分はありそうな量)を食べている。

 はじめはあまりの量の多さに見ただけでげんなりし、食欲を失くしてしまった。ただでさえ慣れない海外一人旅で緊張も感じているところに、どうにも食べきれない量の食事を持ってこられて圧倒されてしまった。とても太刀打ちできない。勢いややる気を削がれたような感じになった。

 それならば軽くサラダぐらいで済ませようとも思ったのだが、実際注文してみると、サラダだって山盛りである。Mサイズのピザがのりそうな大きさのお皿に様々な野菜が盛られ、その上に大きな塊のチーズがいくつか、ゆで卵とゆでたジャガイモ、そして1/2サイズの焼きりんごがなんと6つも置かれていた。小さめのりんごではあったけれど、りんごはりんごだ。1/2が6つなら、3つ分のりんごである。軽くパニックになりそうなぐらいの量だ。とても食べられない。

 それからは食事が恐怖になる。あんなすごい量が来るかと思うと、どこで何を食べていいのか分からない。食べられそうなものと言えばサラダぐらいのような気がするが、どこの店も似たり寄ったりの量で、やはり見ただけで食欲を失ってしまう。まともに食べないからだんだん元気がなくなる。せっかく海外まで来たのに、何をやっているんだろうと思う。

 気持ちも沈みかけ、どうしたらいいのかとあれこれ考えた末に、これじゃいけないと思い返した。量の多さに圧倒されて完全に受け身になり、動けなくなっている。押されっぱなしなのだ。こちらから積極的に向かっていかないとだめだ。食事だけではない、違う国に来て、異なる文化の中で目に見えない何かに圧倒されて後ろ向きになっている。食らいついていかないとだめだ。食べでやる、挑んでやる、負けるものか、と、こっけいといえばこっけいな、でも真剣に覚悟を固めて食堂に向かった。

 この時、何を食べたかは全く覚えていない。おそらくなんとか食べられてほっとしたからであろう。今から思うとばかばかしいぐらいの意気込みだったが、これがきっかけとなって何とか食事がとれるようになったのも確かだ。

 

 スポーツのことは詳しくないが、例えばサッカーやテニスなど、相手に圧倒されて防戦一方になっているところでもなんとか踏みとどまり、そこからぐっと前に一歩を踏み出すことが必要な時があるように思う。このぐっと前に一歩踏み出すこと、何かに食らいついていく感覚を私は旅先の食事で勉強したようにも思う。なんだが妙な学習の仕方ではあるが、食べることに関することだからこそ、言葉や理屈ではなく体で覚えた何かがあったような気がする。

 

 

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