話して放す

長谷川泰子

 

 年末である。

 このあたりでは12月過ぎてもかなり暖かかったこともあり、あまり年末という感じもしていなかったのだが、ここ最近やっと寒くなってきて、またいつものように早めの大掃除をしたり、干し柿を作ったりしているうちにも、やっとなんとなく年末を意識するようになってきた。きまりきったことを何も考えずにやっていると、それだけでなんとなく気分が作られてくる。

 大掃除の時に、しまい込んでいたものを引っ張り出してきて中身を確認したら、陶器のワイングラス(グラスという言い方でいいのだろうか、ワイン用のカップである)が5つも出てきた。3つ入った箱がひとつ、2つ入った箱がひとつ、どちらも人からもらった、ちょっといいものである。普段使うにはもったいないとしまい込んでいたが、そうこうするうちにもう50歳も過ぎてしまった。ここで使わないとおそらく一生使わないままになってしまう。

 実際の目に見えるモノだけではなく、例えば自分自身が持っている、自分自身のなかにある力やエネルギーについては、自分では気が付かないまま、自らの目には隠されたままになっていることも多いのではないか。時々掃除をすることで、そういったあるとは知らずにいるものを新たに発見することができるようにも思う。

 こころの大掃除は、話すことからはじまる。北山修先生が、話すことは放すことに通じると言っていたが、いろいろと話すことが、しまい込んでいたもの解き放つことにつながっていくのだろう。話して、放して、風通しを良くする。そうすると、自分の中に手付かずまま眠っているちょっと良いもの、おもしろいものが見えてくるはずだ。

 

 

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