西村洲衞男先生最終講義 

 1998年3月に愛知教育大学で行われた西村先生の最終講義の記録を掲載します。

 この原稿は、西村先生とお親しかった長坂正文先生が録音されたものを文字起こしされ、ご自身が編集されている「教育臨床事例研究」に掲載されたものです。長坂先生にご快諾いただき、当ホームページにも掲載することとなりました。

 筆者(長谷川泰子)の記憶では、西村先生は定年前に愛知教育大学から椙山女学園大学に移られたこともあり、この最終講義は正式なものではなく、学生・関係者の強い希望に応えての言わば「私的な」最終講義だったように思います。しかし、卒業生だけでなく西村先生の指導を受けた方々などが多く集まった盛況な会でした。

 

 

 

 

西村洲衞男先生最終講義 数学から臨床心理学へ

━私の歩んだ道━

 

西村洲衞男(愛知教育大学教名誉教授・元椙山女学園大学教授 )

 

 

 

1.数学との出会い

 私の最終講義のテーマですが,「数学から 臨床心理学へ」としたんですが,河合先生の定年退官の講義は「コンステレーション」だったんですね。河合先生は,自分が辿った道が,自分の人生がいかに最初からコンステレートされていたかを,お話されたんですね。

 それで,私もですね,そういうことを話したいと思うんですけどね。そんなにうまいこ といっていないんですね。で,数学というの は,私が大学に入りましたときに,教員養成 課程に入りまして,そこで2年間数学を勉強したんですね。それで小学校の教員免許を取 るために心理学を勉強した方がいいということになりまして,それで2年生から数学と心理学を両方やっていくことになりました。 卒業するときには,数学のゼミと心理学の論文を書いて出たんですね。

 そういったことで,そこから二重生活が始まったと思うんですが。ただ,数学は,もう, 入ったときにですね,これはだめだということが分かりまして,解析学という講義がある んですね。岩波叢書の厚いやつをですね。それを半年で半分やるんですね。京都大学ですと,それを半期で1冊やってしまうんですね。 試験はですね,それを全部暗記してやるんですね。それで半分は落とされるんですね。私も落ちまして,ある学生が質問して「どうしてそんなに暗記するんだ」と,それに先生が答えられたんですが,「それは数学の言語を覚えるためだ」と。

 

2.心理学へ

 それからいろいろと勉強してきたんですけれども,あまりよく分かりませんでした。だから心理学の方へ行って,そちらの方へ行ってよかったんじゃないかと思います。で,心理学の方へ進みましてですね,卒業論文は何をするか,何をやってもよろしいと,それで『Psychological Review』というのをずっと読んでいたんですね。一番簡単にやれて,数学に近いものということで「確率学習」というのを見つけたんです。それが,ある現象が確実に起こる,その現象を予測することなんです。例えば,トランプをですね。赤と黒を7対3に分けておく,それを繰りますね。そして出しますね。すると,不思議なことに,7対3になってくるんですね。それはもう,見事でしたね。そのときは,こういう研究が何の役に立つんだろうと思いまして,これは 競馬の予想かなと(笑)。私なんかは競馬はしないので,それで,これは役に立たないと。 そして予測していくにしても,これ以上のことをすると数学を相当勉強しなければいけない。自分の学力が追いつかないし,それから,予測するのに「心」というものが,どうも捉えられない感じがしまして,それで見切りを付けました。

 

3.臨床心理学へ

 それで京都大学大学院に来たときに,臨床の方へ行ったんですね。京都大学に行けたの は,数学の力が役に立ちまして,出た問題が 統計の問題ばっかだったんですね。なんでこ んなやさしい問題が出るんだろうと思って,そうしたら,まあ,入っちゃったんですね。

 それで,数学から心がどのように捉えられるかということなんですけど,心理学科に来られてみなさんがびっくりされるのは,全部統計的な手法を使っているんですね。統計的な手法を。そういうことで,数学は非常に利用されております。

 心理学をやってくる中でひとつ分かったことは,数学というのは,数が心の中にしか存在しない。現実には「かず」としてはあるんですけどね。数というのは心の中にしか存在しないと,はっと気がついたんですね。こ れは,心理学の一部分だと思ったんですね。それで,こう考えてみますと,いろんなところで類似点が出てきました。「超越関数」というのがありますが,これは,例えば正規分布を表す,関数ですね。これを使うと現実の計算がうまくできるんですね。そして理論的なところと現実的なところを結びつけることができるんですね。それと同じようにですね,ユングが「超越機能」ということを言っているわけなんですね。これは心の中の現象,イメージと心の現実とを結びつける,橋渡しをする。そういうことで,ユングはこの夢の機能として超越機能ということを言っております。英語でみますと transcendent function と言うんですね。それから「演算子」。みなさんなじみがないと思いますが。例えば,プラスとマイナスがですね,演算をする。そういうものが,イメージの果たす役割と似ている。イメージとコンプレックスとかですね。A という人とB という人が,その間にイメージ, コンプレックスが入る。そうしますと,そのコンプレックスによって色取られますね。 「母と子」というコンプレックスが出てきますと,どちらかが「母」で,どちらかが「子」になる。このように,A という人と B という人がいて,これをプラスとするかマイナスにするか,掛けるか割るか。そういった,数学の世界の操作と心理学におけるイメージの媒介する役割と,それが非常に似ていると私は思いました。

 それから,今,多重人格というのがはやっていますね。人格性ということを考える場合, 数学では「因数分解」というのが考えられるんですね。ひとつの人格がいくつかもの人格に因数分解されている。それが一つひとつ機能を持っているというふうに考えるわけです。最近は,人格の集合体としての人間ということを考えております。

 それから,私たちはユング心理学であるとか,フロイトの精神分析であるとか,それから学習理論とかですね,あるいは生態学ですかと,いろんな側面から心理を捉えておるん ですが,こういうのは世界観が違う,その世 界観が違うということを考えて私たちは考えなければいけない。そういった世界観の違いということは,数学ではいろいろと考えてきておると思うんですが。私たちに身近なものとしては,ユークリッド幾何学とか,非ユークリッド幾何学とか,そういった世界の考え方の違い,こういったものがあると思っています。それから,数学の言語とユング心理学の言語,この言語の違い。ユング心理学を やっていくときには,ユング心理学の言語を,それをみんなに伝えるときには,みんなが使 っているような言語に翻訳していく。

 ですから,専門用語を日常語に翻訳していく作業,あるいは日常的な現象を専門用語に 置き換えていく,こういったことを私は,繋げてやってきたように思います。そして,この自分の言葉で伝えることの大切さですね,これを河合先生の元でやってきましたと思います。河合先生はユング研究所から帰ってこられまして,ほとんどユングの言葉を使われなかったんですね。そのことが非常に印象的です。私たちと一緒に昼飯を食べながらですね,河合先生が,まあ,最初の頃は,カウンセリングやる人と心理テストやる人が別れていたんですね。心理テストやる人はカウンセリングをやるべきではない,そんな考えがありましたので,サイコセラピストが心理テスターと話す場合には,ロールシャッハでどうするかと,そう言われたんですが。ロー ルシャッハ語を他人が分かる言葉に翻訳する。

 

4.名古屋へ

 私は,京都市のカウンセリングセンターに長くいまして,名古屋市大の精神科に行ったんですね。そのときに,若い数人の先生たちがいました。そうした人たちにロールシャッハテストをしないといかん。ロールシャッハテストを職場でとってきて,解釈するわけですね。そんなこと,何にもロールシャッハテストのことを知らん私が指導をしないといかんのですね。非常に苦境に立ったんですね。 それで私は,クロッパーの『ロールシャッハ・テクニック入門』をもういっぺん読みまして, それを読みながら教えたんですね。

 そのときに,ロールシャッハテストの書き方,これはロールシャッハ語で書いてあるんですが,それをもういっぺん自分なりに組み立てたんですね。動物反応が創造力であるとか,人間運動反応が人間に対する共感,知的能力があるとか,解釈がどうしてそういうことになるのか,自分でもういっぺん組み立てたんですね。数学とは,一つひとつ下から組み上げていくんですね。そういう論理,思考が私を支えてきなんじゃないでしょうか。

 

5.疑問

 それで,私は,臨床心理学の方へ進んだんですが,私の人生の前半は,いろいろと親族の病気があって,暗かったですね。そういうことがあって,この世界に繋がってきているのかもしれませんが,私にとって「心」というのはすごく分からなかったんですね。特に 「自我」という言葉ですね,エゴという,これが分かんないですよ。エゴって何だろう,とずっと思っていました。

 あとですね,土居健郎さんの本を読んでいまして,「自我」という言葉を「自分」という 言葉に置き換えてあるんですね。これでほっとしたんですね。そういう自分の言葉に置き換えたとき,ちょっと分かってくるんですけ ども。「自我境界」という言葉があるでしょ。 あるいは「自我領域」という言葉。そういうことを考えてみますと,自我というのは点なのか,円なのか,球なのか,そんな疑問が出てくるんですね。どういう言葉で言い表せばいいんだろう。自我境界は線なのですかね。 なんかぼんやりとした線なんですかね。連続線なのか,不連続線なのか,数学で表したらどうなんだろうと,ときどき考えたりしたんですね。

  それで,「心」というのが本当に分からなくて,今でも分からないんですけれども。「心」 という言葉を聞かれると,どうなのか?ひとつは,「考え」,「思考」ですね。「感情」であるとか,「イメージ」であるとか,「構造」であるとか。「たましい」なんて言葉もありますね。たましいというのはね,「たま」が付きますからね,なにか球体であるんでしょうかね。「気の玉」と言うでしょう。こういう魂というのは,なにか人格的なものだと思うんですね。自分の心の一部が,人格化して魂として。 特に,「大和魂」なんて言うとね,私のなかにある,日本人的な,戦闘的な部分の魂ですね。

  それから,「心的エネルギー」。これは,日本語には「気」という言葉がありますから, ちょっと,分かりやすいですね。その人格的な要素でない「たましい」,河合先生が言われた「たましい」とはなんだろう。これも,ひとつ,疑問でした。みなさんはどんな解決をつけておられるんでしょうか。あの,これ分からないですけど,答えは,ゲーテの『ファ ウスト』という本を読んでください。そうしたら,たましいがこうしてできると文章に出てきますね。それは,自分のインスピレーションですね。それから考えだとか,イメージですね。そういったものが出てくる。出てくるところは書いてあるんですね。それが何かとは書いてないんですね。だから,たましいが出てくる場所は,何もないんですね。それが数学的な原点なのかな。ゼロだから。こういうところは,もうちょっと数学者が整理してくれたら有り難いなと思うんですけどね。 その辺を,先でできないかなと思います。

 で,まあ,こういうことを分かるのに,私 は 30 年以上かかったんじゃないですかね。 あるとき,経験をだんだん積んできて,分か るようになってきたところがあったように思います。そのひとつの証拠としましてね, ウイリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』というのがあるんですね。今も岩波文庫で出ているんじゃないかと思いますが。その『宗教的経験の諸相』というのを,40 代前半か,30 代後半だったか,40 代前後で読んだん ですね。さっぱり分からない。これは翻訳が悪いと思ったんですね。これは日本語じゃあないと思った。それで,もっと新しい翻訳が出ないかなと思っていたんですね。それであの,50 を過ぎまして,自分の2回目の分析が終わりまして,もういっぺん,別な本で読んだんですね。そうしたらですね,よく分かるんですよ。こんなに面白い本はない,と思ったんですね。そして,昔読んだ本を出して読んだんですね。これが同じなんですよ。仰天したわけですね。あっと思ったんですね。こんなに,分かるときと分からないときがあるんだと。歳がくれば分かることもあるんだということですね。だから,あの本は本当に衝撃的でした。分からないものを,ほかっておくと,分かることもあるという感じもします。

 で,私にはあの,自分の心理学をやるうえで,一つひとつこういうこと確かめながらやってきたんですね。それから,もうひとつ私の疑問としまして,「動物行動学」があります。 これは,私が京都市カウンセリングセンター にいましたときに,京大の精神科に月に2日くらい研修に行かせてもらっていたんですね。そこに,川西智子さんという方がいらっしゃったんですね。この方は,ソーシャルワーカーから来られたんですねけども。加藤清先生から可愛がられてですね。ロールシャッハテストをやってらっしゃいました。あの,笠原先生が書かれた正視恐怖というのがあるんですね。自我漏洩症候群とか。あの,授業でもロールシャッハテストを教えられたんですが,この方はちょっと面白い方で,あの,私,いろいろ教えられたんですが,「西村さん,こういう本があるよ」と教えてくださって,それは,ローレンツの『ソロモンの指輪』という本です。そのころ,早川書房のミ ステリーに入っていてね。『ソロモンの指輪』というタイトルがミステリーみたいでしょう。それで,早川のミステリーに入っていた。 それを読んだら,ものすごく面白いんですね。 動物行動学の本です。この人が,ノーベル賞をもらった。そういう本を読みまして,動物行動学に目が開かれた。

 それから,もうひとつは,河合雅雄先生の「動物生態学」ですね。雅雄先生のご専門の本で,『ゴリラ探検記』があります。これは, 講談社学術文庫やちくま少年文庫に入っておると思います。これはですね,京大グループのゴリラ研究グループの,始めのところが書いてあるんですね。京都の三条のちょっと下がったところに「かねよ」といううなぎ屋さんがあるんですね。そこにたむろしましてね,サルの研究どうしようとなって,じゃあアフリカに行こうということになって,それでアフリカに行って,ゴリラどこにいるかと探して,どこどこに住んでいるらしいと,それで竹藪をどんどん入っていったら,向こうからゴリラがバァっと出てきたと書いてあったんですね。それで終わり。(笑)

 それはとても印象的でしたね。なぜかと言いますと,心理学者はだいたいですね,現場に行かないわけですよ。それが,サルを研究していた人たちは,ゴリラを見に行ったわけなんですね。それで,森をどんどん歩いて,やっとゴリラに出会った。もうびっくり仰天して,ほんとに殺されるかと逃げてくるんですね。そういう経験を現場でやってきたとい うことですね。人間の研究をするんだけども, そういう研究から私は,非常におそるおそるやっていたサイコセラピーですけれど,河合先生から習った心理療法ね,クライエントに パッと会ってね,そこで経験したものを何か考えるという,そんな心理学を習ったと,私は思います。

 あの,このあいだ,おサルの研究の原点の,宮崎の幸島というところに行ってきたんですね。先端の都井岬まで行ったんですけど, その途中に幸島があるもんですから,これは予定を変えなきゃいけないと,行ってきました。村がありまして,その村の端っこに直径 100 メートルくらいの山があるんです。海岸が歩けるんです。岸から50 メートルくらい離れるんですね。まあ,サルはそんなに行き来はできないと思うんですね。離れ小島にですね,サルがこっち見てじーとしているんですね。そして,そのサルを研究しようという ことで,そこへ渡っていって,いろいろと研究したんですね。でも,サルなんていろいろとあると思うんですけど。わざわざ宮崎まで出かけていって,人間にあまり触れていないサルのところへ行って,とにかくそこでじーと座って観察しておられた。まあ,そういう状況を見てきましてね,そんなところへ行って学問をするというのは,そうとうな構えがないと,人格の力がないとできないなという感じがしましたね。そういう人を指導してきた,今西錦司という人はそうとう偉かったんじゃないかと思っています。そういうことで,動物行動学は私に何かをくれました。

 そして,今私たちが依って立っているサイコセラピーの理論のひとつのなかに,「アタッチメントセオリー」というのがあるんですね。対人関係というのは,基礎はアタッチメントですね。だから,こういう母子の基本的な依存関係ですね。この依存関係がしっかりしていると,対人関係がきちっとしてくる。そういうことを分からせてくれたセラピーが,ここにあります。精神分析とかユング心理学とかありますけれども,もっと私たちは動物レベルに下がって,そこのところを研究したらいいんじゃないかと思います。

 それから,もうひとつ,ローレンツから学んだものとして,ローレンツには『攻撃』という本があるんですね。これが,元の題は『悪の自然史』というんですが,いわゆる攻撃が進化にいかに役に立っているかを分析した研究です。これは,動物を擬人的に扱っているんですが,心理学からもすごく参考になる んですね。それは,私たちが攻撃的な能力をですね,持っているわけなんですが。私の体験としましてはですね,つまり,子どものときには,戦争の時代ですから,攻撃というのはすごく大事だったんですね。ところが,小学校3年生ですかね,そのときに終戦になりまして,攻撃性はいっさいだめであると。そういう時代で,まったくひっくり返ったんですね。それで,小学校の校庭に,小銃が山と積まれて燃やされたんですね。それを見ましてですね,これで攻撃性は出しちゃいけないんだと,ナイフも持っちゃいけないんだと。 私の中学生の時代では,刃渡り10 センチの ナイフを持っていると,これは憲法に違反すると。それくらい考えたんですよ。今,剣道 が復活しているんですけど,剣道が復活したのは私が高校2年生くらいじゃないかと思うんですね。それまでは,警察ではやっていいけれども,ほかの所ではあまりやっていなかったと思うんですね。武道というのは,否定されていたんですね。という時代があったんです。

 そういう時代を生きてきましたので,攻撃というものには,自分としては抑圧がかかったんですね。ところが,私の家系がですね,妄想病の家系であるとか,高血圧の家系とか,高血圧というのはものすごくアグレッシブで,抑圧しているんですね。アグレッションを抑圧しているから,それがパッと出てきて, 病気になったりするわけなんですが。だから,そういう縁を持っていると,自分のなかにものすごいアグレッションがあるのを感じる んですね。これをどうしたらいいんだろうか。で,いろいろ今まで臨床をやってきまして, 子どもの発達なんかを見ていますとね,子どもというのは,アグレッションを出しながらどんどん成長していくんですね。これ何だろうと思っていたんですね。そうしたらローレンツの『攻撃』というのに書かれてあるんですね。動物というのは,攻撃性を伸ばしながら個性を伸ばしていくんだと。個性的な発達をするためには,攻撃性の発達が必ずいる。それは,相手を一撃で倒せるような攻撃性であると,書いてあるんですね。そういう,相手を一撃で倒せる攻撃性を獲得して,それをうまく統合したときに,本当の信頼関係ができるんですね。だから,オオカミ族は人間よりも進化していると書いてあるわけですね。

 こういう考え方を見まして,人格の発達を見るときに,自分の攻撃性を磨かなければならないと思いました。この攻撃性が発達してきますと,愛着も,信頼関係も出てくる。その辺が,ローレンツの本には書いてありますけれど,自分として,どういう風に関連性があるのかなと,ひとつの衝動として表がこっちにあるとすると,その裏にエロスがあると。 エロスが表に出てくると,裏に攻撃性があると。そういうことで,どちらかを発展させる と,片方も発展する。その辺が分かるんですけれど,どういう風に説明したらいいか,よく分かりません。

 

6.コンプレックス

 それからですね,数学というのは本当に私のコンプレックスですから,今日は,コンプレックスを話さないといけない。で,あの,その話をさせていただきますが。次にありましたのは,息苦しかったということですね。 わたしは,どうしてこの世に生まれてきたのか,本当は生まれてきたくなかったなと思ったんですね。それで,孤独です。そんな親友もいるわけでもないし,自分の能力を発揮できるわけでもない。

 私は6人兄弟の末っ子で生まれたんですが。私と,一番上の姉がですね,一番頭が悪くてですね。それで,2番目から5番目は,それがすごく頭が良かったんですね。私のすぐ上の兄貴なんかは,小学校時代に,健康優良児ですね。勉強もできて,身体もいい。それで生活していればいい,というわけです。 そういうことで,朝日新聞に表彰されたという経験があるんですね。しかも,その娘もまた健康優良児なんですね。かなわんですね。(笑)

 姉もですね,その,優等報償というのが積んである。私のだけないんですよ。私だけ, ひとつも勉強できなかったんですね。私だけ,ほんとうに勉強できなかったんですね。それで,甘えん坊で,どうしようもなかったみたいです。自分もどうしていいか分からない。だから,私も,対人関係怖いし,どうして対人関係作っていったらいいか分からない。だから,いつもこうやって笑って,ごまかしてきたように思います。河合先生も,いつもニコニコ笑っていますけれども,あれもごまかしだと思いますね。(笑)というのは,本当に出会うというのは怖いわけですよね。だから,そういうごまかしが人間には必要なんだと思います。みなさんは強いから,そんなことしなくてもいいんじゃないかと思うんですね。で,この世は,生きる価値があるんだろうかと,思いました。本当にこれはもう,罪の秘密,クラインの秘密ですね。そんなものがあったと思います。

 

7.クライエントの死

 それでですね,京都で分析を受けまして, 京都から離れてこちらにやってきたわけなんですが。この時にですね,クライエントの両親で亡くなられた方が何人かありますね。これはですね,名古屋に行くためにカウンセリングを急ぎます。急ぎますと,クライエントも急ぐわけですね。そうして,クライエントが自立していく。そうすると,その親がばたっといくわけですね。それで,こちらに越してきましてから起こったことは,京都にクライエントをだいぶ残してきましたので,京都まで毎週帰りまして,カウンセリングを続けました。これが,2,3年続いたんじゃないでしょうか。そうしたら,やはり支えきれなくなって,精神科のお医者さんに返したケースもあります。で,私と離れてから半年くらいしましてね,3人くらい亡くなった。もう。ショックだったですね。で,完璧な死を選んで亡くなられた。電車に飛び込んだり,首を吊ったりで亡くなられた。自分はどうしていいか分からなかったです。本当に,自分は何か足りないかなと思ったんですね。河合先生のケースは,みなカウンセリングの途中で亡くなっているんですよ(亡くなっていることはないんですよ、の言い間違いか? 原文には指摘檀なし ※檀渓心理相談室)。そういうことで, 自分と河合先生はどこが違うのか,そんなことを考えまして。おそらくカウンセラーというのは動いてはいけない。転勤はいかん。

 もうひとつ,自殺を防ぐにはどうしたらいいか。これが,考えたんですけど,これは,「愛」である。いかに愛情を注ぐかです。これ以外ないんじゃないかと思います。愛というのは,私もまだ分からんですね。みなさんは,分かりますか?愛というのを因数分解したらどうなるか。あるいは,愛を関数で表すとどうなるか。で,私はそういうことで,生きるむなしさというものを感じてきました。 これはもう,私の家がですね,両親の精神生活が破綻していたのかもしれませんが,母親は幼稚園のころに別れたように思いますね。 高校で受験するときに,大学受験の時に倒れたわけですから。それ,3月7日なんです。 倒れたのが3月6日で,亡くなったのが3月7日です。今日,祥月命日。そんなこともありまして,私は,あの,母親に対して愛情がないです。だから,人とどう繋がるのかという問題があったように思います。

 

8.宗教との出会い

 それで,カウンセラーである以上,自殺する人に対して,何か応えなければいけない。 で,自分はどう呼びかけるかというのが,ひとつ課題でした。そういうことで,いろんな宗教書を読んだと思います。助けになったのは,木野一義という仏教学者がいますけど, その本はずいぶん分かりやすかったですね。

  そういうことで,いろんな仏教関係の本を読んでみました。ひとつは浄土真宗ですね。この親鸞の教えというのは,悪人正機という,その,悪人こそ救われる,というわけですね。 そこが,いろいろふり返ってみて,私は自殺をする人を助けられない,それくらい消極的な悪しかやっていないわけですね。これ,人殺しをするような,もっと積極的な悪をやっているとですね,神様助けてください,仏様助けてください,と言えるんですけど。どうも,消極的な悪をやってると,言えんのですね。その辺に,私の消極性があったように思いますが。つまり,悪人というものにも,存在価値があるんですね。だから,悪も中途半端,善も中途半端,こんな人間は,素直に入れないですね。

 そういうことで,私の家は浄土真宗ですけども,キリスト教と出会います。このキリスト教に出会うのは,姉が聖書を持っていた。 ですから,私が大学を卒業するときですかね,聖書を読みました。それから,大学で出会ったドイツ語の先生が,キリスト教徒でした。それから,たまたま私の先輩で,鑪幹八郎さんという人が心理臨床学会の理事長をやりましたけどね。キリスト教に近いように思いますね。そんな,いろんなことがありまして,大学時代からキリスト教に開かれていたんですね。で,聖書をこう,いろいろと読みますと,面白いことが書いてあるんですね。その言葉が,惹かれていくことになるんじゃないかと思います。

 で,このキリスト教ではですね,永遠の命というわけなんですね。命によって生かされると,そういうことを考えるわけでしょ。ですから,この「命」というのが分からないということがあるんですね。そんなことを考えておるうちにですね,木野一義さんの本のなかに,インドの詩人のタゴール,タゴールの詩を引用したところがあったんです。「私はこの世の中で,たぐいまれな美しいものを見せてもらいました。ほんとうにありがとうございました」と書いてあるんですね。「私はこの世に別れを告げるにあたって,私が美しいものを見たことをあなたに伝えたい」と書いてあるんです。で,「あなた」というのは,神様ですね。神が造ったこの世界がものすごく美しかった。美しかったその世界をありがとうございました,と言うんですが。そういう言葉があって,自分もできれば,この世の別れにあたってですね,本当に生きがいがあったとか,あるいは美しいものであったとか, そんな言葉を言って去ってきたいと思うんですね。

 それがですね,幻覚の世界って本当にきれいなんですね,きらきらと輝いていてね。私も,京都にいたときに,加藤清先生から LSD をちょっと飲ませてもらいました。その頃は,実験的にできたんですよ。そうしたらですね,本当にきらきらと輝いているんですよ,世界が。音を立てて光が入ってくる,そんな感じなんですね。私も,それを体験しまして,本当にいいことだなと思ったんですね。(笑)私は,白い錠剤でその世界へ行ったんですけど, 坊さんはね,薬なしでその世界へ行っていると思いますね。薬だとね,数時間で酩酊が解けるけど,坊さんは何年も行けるんですね。 そうしたらですね,ものすごくきれいな世界を見る人生と,灰色の世界を見る人生と,どっちかというと,私は欲張りな性格ですから,きれいな世界を見ていきたい,そう思ったんですね。

 そういう風に,きれいな世界を見る方法を,まじめに考えたんですね。いろいろと調べてみたら,悟りの世界,悟りの体験という,いわゆる「光の体験」をするんですね。それを体験した人を,どういうときに体験したか調べてみますと,みんな死の間際ですね。死ぬほど修行しないとそこへ行けないんですよ。修行して,自分というものがどんどん無くなっていって,自分が亡くなるときに,バッと出てくるんですね。それは光に満ちている。自分というものを持っている人は,絶対にその世界に行けないんですね。そういうことで,正体を捨てるというのは面白いことだったと思います。それで,私は悟りを開くことを諦めまして,それを目指して頑張っている人もあるけど,まあ,これは人生の前半でしかやってないです。人生の後半でやる人はあん まりいないんです。自分は,ほどほどに行くことに決めました。

 そういうことをいろいろと考えているうちに,なぜかしら,生きる元気が湧いてきたんですね。それはですね,親鸞さんの教えですか,人は何をやってもよろしい,と書いてあるんですね。悪人になっても救われますよ,と書いてある。何をやってもいいんです。それで,私は自分に課してきた抑圧を解きまし た。言いたいことを言い,したいことをすると決めたんですね。そうしたら,だんだん元気が湧いてきたんです。まあ,いろんな人を傷つけたり,犠牲にしたりしたんじゃないかと,私は思います。そういう抑圧を解くことで開けてくる部分,これで生きていくんだと出てくる側面がすごくあると思うんですね。浄土真宗はそれで助けになると思います。みなさん,抑圧している人は,浄土真宗を持ってください。つまり,人の言うことは聞かないで,自分はこうしたいというのをすればいいんですね。つまり,宗教に道徳がない,というのが分かりましたね。

 

9.キリスト教

 みなさん,あの,ユングの『ヨブへの答え』 というのを読まれましたか?あそこにね,キリスト教の旧約聖書の神は,ヨブよりも非道徳的で筋肉体質だとある。道徳的には,ヨブ の方が高いというわけですね。だけど,ヤーウェの神の方が強いですね。だから,幼児的なんですね。幼児的な神がいるということを発見したのは,これはもう,世界観がひっくり返ったんですね。神にもいろんなグレードがあって,より高い倫理性をもった神というものを発見していかなければならない。そういうことで,僕は,神というものは,発見しなければならない,ということを自分としては考えたんです。

 もうひとつ,私がキリスト教に惹かれているんですけど,なかなかキリスト教に出会えない。それで,すごくキリスト教を批判していたことがあるんですね。それは,いい面もたくさんあるんですよ。だけど,うちの奥さんがキリスト教なんですね。キリスト教を批判すると,うちの奥さん嫌な顔をしておるん ですね。しかしですね,最近になりましてね, この2,3年ですが,キリスト教を批判していると,だんだん自分がキリスト教に取り込まれていく感じがするんですね。そのひとつ が,その,奥村一郎さん。みなさんには,私の心に残る小さい本,『祈り』を,紹介させて いただいたんですが。あの人ですね。この人は,東大の法学部を出て,宗教を勉強したいために,東大の宗教学科へ進んだ人ですが, 卒業論文に「禅宗からのキリスト教批判」という論文を書いたんです。その論文を持って,下宿を出て,大学へ提出に行く。そのときに, 横断歩道を渡るときに,バタッと倒れたんですね。神様を批判してるから,その反応なんでしょうね。それで,気を失って倒れて,起き上がったらキリスト教になっていた。(笑)それで,鎌倉の自分の禅宗のお寺に行きまして,「自分はキリスト教になりました」と言ったら,「おまえは今まで頭で悟ったけども,身体で悟ったから行け」,と。

 こういうのを読みまして,あっと気づきまして,キリスト教を批判すると,こういう風にキリスト教になっていくんだと。おもしろい宗教でしょ。サウロという人は,キリスト教を批判していたでしょ。迫害して,キリスト教徒を捕まえようとしていた。その道で,バタッと倒れたら,神の声が聞こえた。それでキリスト教徒になっていた。こういう宗教というのは,ものすごくおもしろいと思うんですね。

 

10.攻撃性と宗教

 昨日ですね,ひとつ考えていまして,「非難攻撃は愛を生む」と。(笑)こんな言葉が出て きたんですね。それは,今,虐待が多いですね。子どもを虐待するお母さんというのは,すごくりっぱなお母さんに育てられているんですね。で,きびしく育てられている。このお母さん自体が,精神的に虐待されてきている。このお母さんたちが虐待を止めるためには,どういうことをすればいいか。そのお母さんたちが,自分のお母さんをぶちこわして,「お母さんなんか,死んでしまえ」と。「あんたに厳しくされたから,今,私は子どもをいじめる」と。 そういうことで,自分のお母さんを批判した人だけが,自分の子どもにやさしくなれるんです。これも不思議ですね。 これは,そういうことを報告してくれた方もあります。

 だから,私は,このことを個人を中心に考えなければならないと思います。今の時代はですね,もう常識の時代じゃあないと思ったんですね。戦争はなくなりませんよ。戦争がなくなった代わりに,戦争に代わるような,市民戦争のようなものがある。互いの信頼関係を壊すようなことは,日常的かなと思っています。そんなことが感じられないでしょうか。ローレンツの理論から言ったら,世界大戦がなくなったら市民戦争になるわけですね。人間が,生物が自己実現をして,個性化していくためには,攻撃性を持たないといかんわけでしょ。攻撃性は,使わなければ伸びんわけですよ。そうしたら,どんどん攻撃をお互いにやらんといけないわけですねよ。そういうことをしながら,力をつけるにはどうしたらいいかという,これ,大きな課題があると思いますね。そういう時代に,今突入していると思います。

 その,親鸞流にですね,自分の衝動を開けまして,結婚したかったら,したらいいんですよ。それが可能な時代はですね,もう常識は要りません。もうちょっと,非難攻撃や,戦いを支えていくような新しい宗教が必要な時代にきていると,思うんですね。それは,新しいキリスト教ではないでしょうか。そんなものを,ちょっと感じています。それは,キリスト教というのは,やっぱり,世界制覇 をもくろんだわけですね。そして,自分の宗教を押しつけていったわけでしょ。世界征服をもくろんだ,非常に攻撃的な宗教だと思い ます。その攻撃的な宗教がですね,つまり,戦争を引き起こした宗教です。その宗教が,愛を説くわけですね。そのへんが,私は面白いなと考えています。

 まあ,そんなことで,長く宗教の問題を考 えてきて,このへんでそろそろいいんじゃないかなと,漠然と考えているんですね。こういったことを,きちんと文章にして書くと,みなさんに読んでもらえて分かってもらえるんですけど。私は文章力がないもんですか ら,なかなかみなさんにこういう考えを紹介できなくて残念です。

 

11. 河合先生との蜜月

 こういう風に考えてきて,河合先生もたぶん同じようなことを考えていらっしゃると 思います。そんなに違いはないと思っています。だいたい,私が考えるよりも先に,河合先生が考えていらっしゃるんですね。

 私は,あの,河合先生とずっといっしょでした。それで,チューリッヒから京都に帰られましてね,その,ユング心理学を広められる最初のステップをいっしょに歩んだんですね。京都市のカウンセリングセンターに毎週来ていらっしゃったし,河合先生が講演会に行かれるときには,それも私が腰巾着でついて行ったんですね。それをまあ,許してくれたんですよ。また,河合先生と勉強してよろしいと,カウンセリングセンターの事務官が認めてくれたんですよ。

 だから,5年間はいっしょにいたんじゃな いかと思うんですね。それで,自分の考えも,発想も同じになってきて,どっちがどっちか 分からないような考えになってきました。そんなことを私が言うと傲慢だと思われるかもしれませんけども,最後にこんな夢を見たんですね。河合先生に,こんな夢を見ましたと言ったら,「あっ,そうか」と,河合先生もびっくりされて,「こういうことになっているから,みんながガチャガチャ言うんだな」と言って。だいぶ焼き餅を焼いていたんです ね,周りの人たちが。

 そういうことですから,ピタッと一致していますとね,私のインディビジュアルはどこにあるんだろうね。ユング心理学をやっていく人は,これは個性化というのを考えないといかんわけでしょ。河合先生といっしょにやっていくのは,個性化じゃないですよね。自分は,自分を確立したいなと思っていましたから,私はこの名古屋に来たから,河合先生とは違った考えや発想を持ちたい,とずっと思ってきました。

 

12.自立

 そういうことで,名古屋に来てからですね。フロイトは神経症を,ユングは精神分裂病を, 河合先生は登校拒否と多重人格を研究した。自分は何をやるか。私が目に付いたのは,女性の患者さんです。母親にならなきゃならんのに,なれなくて発狂した人がいる。こういう人を見まして,あっ,女性が母親になるのは大変だと思ったんですね。また,母親からひとりの女性として生きるのは大変なんですね。そういうことで,私はこちらに来ましてから,ずっと女性の生き方を研究してきました。私は,まあまあ女性の心理について詳しいんじゃないかと思います。

 で,もう少しで終わりますが,もうひとつですね,名古屋に来て,最初の3年間はロールシャッハテストを勉強して,そして,ロールシャッハテストを自分のものにして,人に教える仕事をした。その後からですね,教育分析を始めたんですね。箱庭療法研究会をやりながら,教育分析をずっとやってきた。

 

13.  教育分析

 そうやってやってましたら,私の周りに集まってきたのは,男性だったんですね。男の教育分析を10 年くらい,40 代のころでしょうか。この人たちを育てるのに,私は,育てる人間ですから,この人たちをつぶしてはいかん,利用したらいかんと思ったんですね。つまり,人の力を利用して自分が成長する人がいますね。私はそういうことはできない。もっと自分に才能があったら,そういうこと をできたんでしょうけど,自分に才能がないから,できれば,人を育てたいと思ったんですね。だから,私は,あんまり自分の考えを表に出したらいかんと思って,そういうことで,分析してきたんですね。それで,あの人たちは助かったんじゃないかと思います。

 長年,分析をやってきまして,感じたことは,夢分析を通じて,自分はどういう生き方をしてきたか,どんな状況でどんな風に生きているかということを,考えてきた人ですね。 この人たちは,いつの間にかいろんな人たちに取り立てられるようになって,それで,全部地位が上がってきたんですね。病院のサイコロジストもいたわけですけど,その人たちも全然心配いらない。いろんな人たちが,その人を取り立ててくれる。私は,なんにもしない。

 結果的にですね,自分に関わった人たちが,いちばん関係を広げていったという,そういうことを確信しました。だから,人間というのは,自分の世界を造らないといかん。これは,自己愛ということだと思いますね。これを,自分で掘り下げていく,こんな仕事をしなくちゃいけないなと思いましたですね。で,あの,自分の世界を造るというんですかね,これは,星の王子様のようにするということです。宇宙に行って,ただひとつ浮かんでいる星の王子様が住むような星ですね,ここで 一本のバラを育てる,こんな仕事をするわけですが,自分のなかに何かを造っていく,そんなことをしているとですね,世界が広がっていく。私自身は,そんな風に分析を考えながらやったんですけども,私の関係の人たち がそれを実証してくれた感じがします。

 男の人たちにとってですね,これは私もすごく思いますが,自分が宗教的というところに捉えられた。自分を支えるために宗教的な力が必要だったから,でも今はですね,私は もうそんなに生きる力がないので,この世のむなしさを感じてですね,いつの間にか,傲慢になってしまったのかもしれません。ですから,宗教というものに関心があったし,私の関係の人たちも,この人たちが分析の中で明らかにしていったことは,全部宗教の道なんですね。ある人は氏神様で,ある人は山の 神様で,それから自然の宗教とか,いろいろとおこします。全部,宗教的なテーマを,私が見ていたように思います。

 それに対して,女の人は,まあ 50 代に分析をやって,女性がどうなるのか,ずいぶんやったんですね。女の人は,行き着くところが 宗教的な所ではないんですね。これも,私はショッキングでしたね。みんなロマンチックなんですよ。みんな,愛を感じるわけなんですよ。あの,愛する人を見つけるんですね。これは,みな本分に戻っていきますから,自分の旦那さんとの関係をよくしたと思いま す。そういうよい関係が,続くことによって人生があったと思いますから,個性化という考えもですね,ひとつじゃない。男性は宗教で,女性はロマンチックである,と。まあ,そんなことが言えるんじゃないかと思っています。これが正しいかどうか分からないですけど,私の経験から出てきたひとつの結論です。これは,みなさん方が,これからたくさんの事例を見ていって,確かめていただきたいと思っているんですね。女性も宗教的だと言われるかもしれませんが,確かに,人を生かす力,人を支える力ということで,宗教というのは大事なんですけれども,分析のひとつの道としてそれがあるように思います。

 

14. おわりに

 今度,こうして自分をふり返ってみまして,自分というのは,なにか,自分の問題ですね。 人はなぜ生きるかとか,男というのはこういう言い方をするのであかんな。愛とはなにか, 恋とはなにか。愛と恋をどういうふうに考えているか。こういったことを,ずっと,その問題を考えながら,答えを出してきた感じなんですね。あんなにたくさん戦争を生み出しながら,宗教ってなんなんだろうな,自分にとって一番魅力的でありながら,その,入れない理由はなんなんだろうな。そんなところ を,いろいろと探しながら,いろいろと考えてきて,出てきたところはですね,いかにして問題を解くかということですね。自分に問題を作りますね,それに解答を作りますね, こういったことをやってきたんじゃないかという気がしますね。 そのときに,問題と解決がいっしょにボンと出てきたりするわけですね。問題がきちんとできあがったときに,解答もボンと出てくるんですね。この辺は,数学と似ているんではないかと思いまして,それで考えておった ら,ポリアという人が書いた『いかにして問題をとくか』という本があったと思います。 数学者が書いた本ですね。英語版で,ちょっと最初の方だけ読んだ記憶がありますね。頭にこびりついているんですけど。いかに,どういう風に問題を作るか,きちんと問題ができたときに,解答も出てくる。なんか,コンプレックスなんですね。ずっと考え続けておりますと,そこから何か出てくるわけなんですね。だから,そういう考え続ける力と言いますか,そういったものがあれば,人生が楽しくなる,まあそういうことですね。そんなことを,私の先生が教えてくれたんですね。幸いなことに,いつもいろいろな考えを見つけてやってきたように思います。 ある人が,「僕は世に隠れて宝を作る」と言ったんですね。あー,私も,名古屋というのは学問が発展しないところでしょう。(笑)だ から,私も,愛知に来て宝を作ると,まあ,そんなことがちょっとくらいできたんじゃないかなと,まあ,そんなところを思っているところです。 ほんとに,私はですね,生きる力がなくて,それで空しいと思って,それで愛する力をもらって,皆さんにかかわってきたんじゃないかと思います。学生が,この間言いましたが,「先生はサービスがよすぎる」と。ちょっとサービス過剰だったところがあるかもしれません。それは,私の甘えたいという機制の裏返しだったと思います。こういうことで,皆さんにご迷惑をかけてきたんじゃないかと思います。これから椙山に行ってですね,またひと頑張りすることになるかと思いますが,いろんな問題を見つけてですね,またうかがいますので,またお付き合いをお願いします。 これで,私の話を終わりにさせていただき ます。どうもご静聴有り難うございました。 (拍手)

 

 

参考文献

 G.ポリア(1975):いかにして問題をとくか. 柿内堅信訳,丸善.

ゲーテ(1967):ファウスト.新潮文庫.

H.ディビドソン・B.クロッパー(1964):ロールシャッハ・テクニック入門.ダイヤモンド社.

河合雅雄(1984):ゴリラ探検記.講談社学術文庫.

コンラート・ローレンツ(1985):攻撃.みすず書房.

コンラート・ローレンツ(1998):ソロモンの指輪.ハヤカワ文庫.

ウイリアム・ジェームズ(1969):宗教的経験の諸相(上).岩波文庫.

ウイリアム・ジェームズ(1970):宗教的経験の諸相(下).岩波文庫.

 

 

*本稿は,1998 年 3 月 7 日に愛知教育大学で行われた,西村洲衞男先生の最終講義の逐語録に若干の編集を加えたものです。使用された用語については当時のままになっており ますのでご了承ください

 

 

 

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