頭の働きが悪くなった

 最終更新日2016年12月13日の文章です。ブログ用の文章だと思われますが発表はされておらず、書きかけのものなのかもしれません。80歳を前に「個性を伸ばすには相当に努力しなければならない」と書かれているのが印象的です。

 

 

頭の働きが悪くなった

西村洲衞男

 

 今年のカウンセリングノートを振り返ったら、数編しか書いていない。生産量が落ちている。自分は精一杯生きて来たつもりだったが、考えたことを書き残していない。昨日「たましいの根づきと工場」に書いたように、どうやら私の心理学の工場は荒れ果てているらしい。

 真実に向けて秘密をなくす方へ、聞いたことから感じたものを率直に返して話し合う対話的な面接に変えてから、面接が面白くなって、面接はよく続くようになった。考える事柄も多くなった。面接中これはエッセイに書いておくべきだと思うがすぐに消えてしまう。メモに残すこともあるが、そのメモもくずかごに消えてしまう。

面接以外でも自分の内面により注目するようになったのか、現実のことを忘れてしまう傾向がある。これは加齢による呆けのせいかもしれないけれど。

 今年になって米原万里というロシヤ語通訳者のエッセイを読んで衝撃を受け、ポカンとなって、ノックアウトされたようになっていると思う。

 米原万里の『不実な美女か貞淑な醜女か』を読んで、私は神のことばの通訳者であると思って一文を書いたが、それも完成させないまま放ってある。これがノックアウトされた状態を示している。米原万里の本を読んでいると考えさせられることが多々ある。まるでユング心理学に出会ったときの様な心の状態だ。今は河合先生に出会ってユング心理学に圧倒されたように、米原万里に圧倒されているのだ。

 久しくユング心理学に学んできたが、そのうちにたましいのことを考える河合心理学はユング心理学から相当に変わって来たと感じて、学会の自主シンポで「河合心理学とは何か」と題して何人かに話をしてもらったが、他の人はユングを河合の違いをあまり感じていなかったようである。私だけが河合隼雄から独立するために違いを明らかにしなければならなかんたようである。しかし、それを企画したその年先生は倒れられた。それから10年、やっと河合隼雄先生の年齢を越え、先生をある程度客観化できるようになった。

 米原万里さんも10年前に亡くなられている。米原万里の本を読んで私はトゲトゲのいっぱいある木に登る夢を見た。さらに、私は花フェスタ公園まで出かけてバラの苗を買った。バラがこんなにもトゲトゲであることを改めて知った。更に下向きに咲くバラもあることを知った。枝が細く花を支えられないのである。それが20個以上も同時に花を付けた。バラは一般に水と栄養を必要とする。河合隼雄先生も沢山の聴衆を前に輝く人だったと思う。沢山の人からもらう栄養と水で沢山の本ができた。

 このような人から影響を強く受け、個性を伸ばすには相当に努力しなければならない。

 

 

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