どこへでも自分の椅子を持って

長谷川泰子

 

 少し前に、雑誌 ビッグイシュー で「チェアリング」についての記事があった(THE BIG ISSUE JAPAN418号)。椅子をもって出かけ、いろいろなところでくつろいだり、景色を眺めたり、時には読書もいいし、コーヒーを飲んだりするのもいい、そうやって自由に楽しむアクテビティとのことだという。椅子さえあればどこででも、公園や河川敷のようなところはもちろん、時には迷惑にならない範囲で街中に出で行くのも楽しいとのことだった。今は軽くて持ち運びが簡単なアウトドア用の折り畳みの椅子があるし、キャンプのように気合の入った準備も必要ない。誰でも気軽に、やろうと思えばすぐにできる。確かに外の空気を吸い、景色を眺めながらゆっくりと座っているだけでもずいぶんリラックスできるだろう。

 チェアリングを試してみたことはないが、どうもチェアリングというのは自分の椅子を持っていくところがポイントのような気がする。公園にはベンチだってあるし、なんなら地面に直に座ることもできなくはない、それに抵抗があるならゴザなりビニールシートなりを敷いて座っても同じではないか、わざわざ“チェアリング”なんてたいそうな名前をつけなくても、とも思うかもしれない。しかしやはり自分の椅子に座ることで、仮ではあるものの確固とした「私の居場所」をそこに作りだすことができるのではないだろうか。安心してそこにいるためには一定の居場所、腰を落ち着けるところを確保することが必要だ。

 ずっと一か所に座り続ける、一定の場所を占め続けることを「根が生える」などと言ったりする。座る、腰を落ち着けることで、そこがその人の居場所に変わること、あたかもその人がそこで自生しているかのごとく、まるで家にいるかのようにくつろいでしまえることを示しているように思う。ということは腰を落ち着けられるもの、私の椅子さえあれば、それを持ち運ぶことによってどこでも居場所にかえることができるのだ。

 

 自分の人生を生きるためには、なにも本当の椅子をいつも携帯している必要はないだろう。自分だけの椅子に自分が座っている、そのイメージを明確に持つことができればきっとどこにでも行ける。そして行った先で自分の居場所を見出すことができるのではないだろうか。

 

 

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