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やれるところまでやってみよう

長谷川泰子

 

 

 最近、いろいろと考えなくてはならないことが重なり気持ちに余裕を失いかけたことがあった。このままで大丈夫かなと不安になった時に、ふと昔、西村洲衞男先生に「やれるところまでやってみよう」と言われたことを思い出した。

 檀渓心理相談室は今はマンションの201号室で開業しているが、以前は201号室だけではなく、同じマンション内のX号室でも相談業務を行っていた。X号室には事務室の他に面接室が2つあり、そのうちひとつはかなり大きな部屋で、主にプレイルームとして活用していたが、しばしばセミナーも開催した。参加者が30人を超えても十分対応できる大きな部屋だった。

 今から2年ほど前、いろいろと事情があってこのX号室を相談室として使用することができなくなり、檀渓心理相談室は201号室のみで業務を行うことになった。X号室でやっていた仕事はすべて201号室で行わなくてはならない。X号室に置いてあったものも201号室に移動させないといけない。

 檀渓心理相談室は箱庭がたくさんある。当時、X号室には箱庭の箱が面接室に出してあるものだけで3つ、それ以外にも物置にもいくつかしまってあった。箱庭のおもちゃも大量にある。プレイルームにはプラレールなどのおもちゃが押入れからはみ出すぐらいにあった。とてもすべて201号室に運び入れることはできない。箱庭の箱もおもちゃも同じ仕事をしている仲間に譲り渡すことになった。多くの人のお手伝いがあり、X号室から201号室への引越しはあっという間に終わり、201号室の3室ですぐに相談業務は可能になった。とりあえず明日の仕事はできる。しかし201号室にはX号室のような大きな部屋はない。面接室の数も減る。プレイセラピーやセミナーは今後どうしていったらいいだろう。

 当時、前室長だった西村先生は咽頭がんを患い、患部を取る手術を受けて声を無くされていた。X号室から201号室への移動があったのは、手術後で放射線治療を受ける前、先生が仕事に復帰する前の時期だった。

X号室からの荷物の移動を先生に報告した時に、今後について上記のような不安を私が思わずぽろっと漏らすと、先生はすぐに「やれるところまでやってみよう」と書かれた(声を失っていたので会話はすべて筆談である)。

 今から思うと、手術を終え声を無くされたばかりで先生自身もこれからどうなるかおそらく大きな不安を抱えていたに違いない。先生ご自身が「やれるところまでやってみよう」という心境だったのだろうと思う。しかしその時はそんなことには思い至らず、でもただひとこと「やれるところまでやってみよう」と言われて、そうだ、やれるところまでやってみよう、と妙に肝が据わり、前向きになれたのを覚えている。先のことはどうなるか分からない、やっているうちに何か見えてくるかもしれない、まぁやっているうちに何とかなるだろうと、そんなふうに気持ちが落ち着いた。

 その後すぐに檀渓心理相談室は201号室のみで業務を開始した。しばらくして放射線治療を終えて西村先生も仕事復帰され、短い期間ではあったけれど、201号室でカウンセリング、教育分析の仕事をされた。それから今まで様々な変化はあったけれど、やれるところまでやってみようと思いながら、少しずつ相談室を整えてきた。プレイセラピーもやれる。箱庭も各面接室に1つずつあり十分すぎるほどの箱庭のおもちゃもある。X号室ほど大きな部屋はないが、セミナー開催も可能だ。

 はじめからすべてが明確な形を持っていたわけではない。今から思うと、形を整えようと焦って無理をしなかったのが良かったようにも思う。やれるところまでやってみよう、と言い聞かせることで、力を抜きながら、時が来るのをじっと待つことができた、それが良かったと思う。

 

 

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