ユング自伝メモ

 「ユング自伝メモ」とタイトルが付けられている文章です。文章の冒頭「090824」とありますが、最終更新日は2009年8月25日になっています。内容から考えると「ユング自伝 2 思い出・夢・思想」(ヤッフェ編 河合隼雄・藤縄昭・出井淑子訳 みすず書房)を読まれて、西村先生がご自分のためにまとめられたメモのようです。なお「ユング自伝 1」に関するメモは見つかっていません。

 実際の西村先生のメモは通常の字体で書かれている部分の他に太字表記、斜体表記の部分があります。通常字体の部分同様に斜体のところも本文からの抜き書きですが、先生が特に区別をしたいと思われて斜体表記にされたようです。太字部分は先生ご自身の意見・考えだと思われます。スマホでご覧の場合、字体の区別がされず、すべて同一の字体となる場合があり、区別のため、斜体部分は文頭に○を、太字部分は文頭に◇の記号を附しました。

 

 

 

 

 

090824 

ユング自伝メモ

 

自伝2

研究

P6

 歴史無しには心理学はありえない

  ◇現在の心理は過去の経験によって説明される

 

P13

 無意識が一つの過程であり、自我の無意識の内容への関与によって、心が変容され発展させられるということがわかった。個人の場合は、この変化を夢と空想から読み取ることができる。・・私は、私の心理学の中心概念、すなわち、個性化の過程に到達した。

  ◇深層の心の過程が大切である  

  ◇夢と箱庭によって深層の過程にふれる

  ◇深層の過程にふれると自我は変化する

 

P16

 緑の金は生命ある質で、錬金術師はそれを人間の中のみならず無機物の中にも認めていた。それは生命の精のひとつの顕現であり、世界の霊あるいは大世界の息子、全宇宙に生気を与えるアントロポスである。・・・緑の金の重みは私に、霊的に生きているものと肉体的に死んでいるものとの合一としての、隠れも無い錬金術的なキリスト教の概念を示したのである。

  ◇緑は命である 霊的な命でもあり肉体的な命でもある

 

P20

 私の両親は共に「魂の治癒」の問題を背負って現れてきており、それこそまさに私の仕事なのである、何かが未だに完結されず、私の両親のもとにある。すなわち、それは未だ無意識に潜在し、従って、未来のために留保されている。私は「哲学的な」錬金術の主な問題、結合について未だ取り組んでいず、従ってキリスト教的な魂が私に課した問いに答えていないことに気づかされるのである。

  ◇祖父母や親の未解決の問題を子どもが背負う

 

P28

 人間は天命に直面したときでさえ、常に何らかの精神的な留保をもつものだ。

  ◇人間は神の奴隷ではない

 

P30 

 無意識の内容に従事することは、人間を形成し、その変容を生じさせる

   ◇P13に同じ

 

 

 

P49

 私は早くから自分の人格内の分裂が、純粋に私自身の個人的な問題であって、自分自身の責任であるということを自明の理としていた。

 

 ファウストが「ああ、私が胸に二つの魂が宿っている」告白した言葉で、

 

 ファウストがピレモンとバウシスの殺人を引き起こしたときには、まるで、私自身がこの二人の老夫婦殺しに手を貸したような罪悪感を覚えた。この奇妙な考えに自分で驚いて、私はこの罪を贖い、あるいは二度と繰り返さないようにする責任があると思った。

 

P50

 ゲーテは、私自身の葛藤とその解決についての基本的な概観と図式を与えてくれた

 

 後日、私は自分の仕事を、意識して、ファウストの看過したものに結びつけた。それは

    人間の永遠の権利に対する畏敬

    「古きもの」の認知

    および、文化と

    精神史の連続性

 

個人的な心における「新しさ」というのは、太古の構成要素の無限に変化する再構成なのだ・・・

 

  われわれは進歩という本流に身を投じたが、その進歩のわれわれを未来に流し去る力が凶暴であればあるほど、われわれをますます根こそぎにしてしまう。・・・到達していない現在に生きるよりは、むしろ未来に、黄金時代という架空の約束の中に生きるという混乱とせっかちを引き起こすのである。われわれは目新しいものへと請求に飛び込み、物足りなさ、満たされぬ思い、いらだちなどの感情のかたまりにかりたてられる。われわれはもはや所有しているものの中に生きることはできず、約束に生き、今日の光の中に住まず、未来の暗闇に住み、最後に未来が真の来光をもたらしてくれると期待している。

 

  昔の親方たちは、「すべて急ぐものは悪魔の仕業」というのがつねであった。

 

逆行による改善は、原則として、より安価でその上永続性がある。・・新聞テレビをすべて使わない

 

内的な平安と満足とは、個人に生まれながらに具わっている歴史的家族が、はかない現在の状況と調和するかどうかに、大いに左右されるのである。

 

○幾世期にもわたった静かな大家族がこの家に住んでいるようであった。

 

○私の中の先祖の魂がこの家(塔)によって支えられた。

○そして私は彼らの魂が後日に託した問題に答えた。私は最善を尽くして、率直に解答を刻んだ。それらを壁面に描いた。

 

○私は第二人格(母の太古の息子、古老、太古の人)を生き、絶えず去来する人生をあらゆる角度から眺めた。

 

◇人は先祖のたましいと共に生きている。先祖のたましいと調和的に生きることが重要である。先祖の魂とは生物学的に言えば肉体の命の生き方である。人間はまず動物的な存在であることを忘れてはならない。

 

 

 

 

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