夢分析について セミナー資料

 「夢分析について セミナー資料」というタイトルで保存されていた文章です。最終更新日は2008年2月12日です。

 途中に「藤井日達上人」と出てきますが、「わが非暴力 藤井日達自伝」(山折哲雄編 春秋社)は西村先生の愛読書でした。

 

 

 

 

夢分析について

檀渓心理相談室 西村洲衞男

 

1 夢分析の歴史

現代の夢分析はフロイトに始まる。

フロイト以前の夢の扱いについてはマイヤー、C.A.『夢の意味』(1989創元社)に詳しい。

ユングは夢を重視したが、夢に関する論文は少ない。

 

 

2 フロイトの夢判断

フロイトは夢を研究するに当たって客観的科学的な態度をとり、主観的なアプローチを排除した。夢を思いつきで解釈することをやめ、連想し言語的に報告されるものだけを扱った。したがって、夢そのものを解釈することなく連想をとり、夢の背後に隠されている無意識の心を明らかにしようとした。夢は無意識への王道である。

フロイトは夢を無意識の暗号文と見做した。

夢は無意識への王道である。夢の内容を手がかりとして連想内容を詳しく手繰り寄せ、忘れられている心的内容を明らかにしようとした。

夢は無意識へ至る未知の出発点であって、無意識そのものではない。フロイトにとっては忘れられた苦い思い出、受け入れがたく抑圧され、忘れさられたことが問題で、それを掘り起こすことが精神分析の課題であった。まさに無意識へいたる道にしか過ぎなかった。

 

確かに、夢の内容から連想を取るといろいろなことが思い出され、自分がたどった人生を振り返るのに便利である。人生を振り返る作業をすると、経験の意味がはっきりして自分が経験を土台にして今の自分があるという自覚にいたる。自分が経験に基礎付けられ安定感が高まることを意味する。

分析を受けた人の強さ、人生を生きることへの自身、人格の重みなどは個々に基因するのではないかと思われる。

 

 

3 ユングの夢分析

ユングは夢を無意識の象徴的な表現であると考えた。現時点での無意識の状況は象徴的に表すと夢の内容の通りであると考えるのである。

夢は無意識の状況を描いた一枚の絵や詩のようなものである。そこから無意識の状況を読み取るのである。

例:私(女性)は「大きな一本の枯れ木」を見ました。

  大きな枯れ木がその人の無意識の心の中にある。

 枯れ木の心を持った人。花の咲かない、若さを失った木のような心の人。

 固く、柔軟性を失った心

 枯れた木には動物は寄り付かない。

 代わりに虫がつく。

 彼女に寄り付く男性は虫のようで、内部から木を崩壊させる可能性が心配である。

 

このように夢の内容から思いつかれる内容は主観的で恣意的なものである。

この主観的で恣意的なものは感情を含んでいて心を通じて伝わる可能性を持っている。人々は何だろうと心が動かされる。

夢そのもののイメージから連想されるものを豊にしていると心が揺り動かされるのではないか。その動きが大切なのではなかろうか。

ユングは木のイメージが醸し出す雰囲気、つまり、心を明らかにするために夢に現れた木のイメージとの対話を重視した。それが能動的想像法である。

 

これはユングのアニマが夢の中でユングに対してとても批判的だったことによるのではなないかと思われる。アニマ像(女性)は夢の中でとても挑戦的批判的で、建設的でなかったためではないかと思われる。

 

 

4 マイヤーの夢療法

マイヤーは「そこはエピダウルスだった」というクライエントの夢から、古代ギリシャの治癒神アスクレピウス信仰を『夢の治癒力』に現代の心理療法と関連して解説している。マイヤーの夢療法は古代ギリシャの夢療法に近い。

古代ギリシャの人々は、治癒神アスクレピウスを信仰し、アスクレピウスを祭る神殿に詣で、斎戒沐浴し、身を清めて、神殿に寝て夢身を待った。夢を得ると神官に報告し治療を受けた。そこでは外科的な治療も行われたらしい。この治療で治ると神に賛辞を送った。神殿には神殿娼婦と呼ばれるものも居た。神殿娼婦(巫女)と交わることは神の世界に近づくことであったと思われる。

夢を見ると大体良くなっているので、夢見ること=治癒と考えた

 

 

5 日本の夢信仰

日本に古代ギリシャを同じような夢信仰があったことを国文学者西郷信綱が明らかにしている。(西郷信綱著『古代人と夢』平凡社選書、河東仁著『日本の夢信仰-宗教学から見た日本精神史』玉川大学出版部 2002)

日本では長谷寺や清水寺など多くの寺が夢信仰の寺であった。特に長谷寺は有名で、今も寺に籠もって祈る人が少なくない。例:今昔物語 「わらしべ長者」

 

夢が信じられた時代―大体今昔物語が編纂されるまでと思われる

親鸞、明恵の時代

夢解は夢合わせとも言われた 夢をみんなで解いていたのではないか。

 

親鸞(1173-1262)の夢見

親鸞は僧でありながら妻帯することの問題を解決するために六角堂に百日間籠もり95日目に夢のお告げを得た。

親鸞は中堅貴族の子として生まれ、9歳で天台座主慈円によって得度し、比叡山の常行三昧堂の堂僧として修行。1191年秋、太子廟参詣、3日間参籠。

太子廟夢告 19歳 夢:汝の命は10年。

大乗院夢告 28歳 夢:善いかな、善いかな、汝の願まさに満足せんとす。

      29歳 法然に従う 自力の天台を去る 他力に帰依

六角堂夢告 29歳 夢:行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽 

これによって親鸞は自力から他力に完全に転向し、浄土真宗を創始した。

 

明恵の夢見

 これについては省略

 

 

6 現代の僧の夢見

  藤井日達上人の夢体験-資料

 

 

7 私の夢分析経験から

夢は過去の出来事を思い出す手がかりである

夢は自分の生まれ育ったところを座標軸とし、経験を整理している

夢が深くなると、経験した座標軸を離れ、未来に関わる 夢:河合隼雄の豊橋の夢

夢は過去の経験の意味を象徴的にまとめて示す

夢の背景に流れるものが本当の自分の人生らしい

天然色の夢は元気なとき、モノトーンの夢は白黒で、うつ状態のとき

解釈の必要がない夢―意味がはっきりしている 自我が強く問題意識も明確

夢を沢山見るがつかまらない―忙しいとき、自我が弱い

夢がはっきりしない―問題意識が曖昧、自我が弱い

沢山夢を見る―問題が切迫している

繰り返し同じ夢を見る―特に問題が切迫して特定のことを考えねばならない

 

創作的な夢 夢見者が簡単なヒントから作り出す夢―解離性障害に多い 物語が恣意的に展開し、いい加減にテーマが変わり、深みが感じられない

 

夢を如何に解くか、よりも、如何に明確な夢を見るか、夢見の態勢つくりが重要。

幼子のごとく・ヘビのレベルで

 

面接では夢全部を検討する

 

夢の視点は無意識にある。夢の視点。それに対して箱庭の視点がある。

コラージュの視点。

 

 

 

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