ジャンボジェットが飛び立つとき

長谷川泰子

 

 ずいぶん前だが、飛行機の発着を見るために時々セントレア(中部国際空港)に行っていたことがある。セントレアには広い展望デッキがあり、ベンチもたくさん置いてある。おそらく搭乗前後の旅行客以外にも、ただ飛行機を見に来たんだろうなという人は結構いた。滑走路の向こうは海ということもあってロケーションも良く、夕方に次々と飛行機が発着するのを見るのは心躍る体験だった。今から思うと気持ちのリニューアルを求めて行っていたようにも思う。

 個人的には着陸よりも離陸を見る方が好きだ。おそらく飛行機に実際に乗っている時よりも、外から飛行機を見ている方が離陸の瞬間の気持ちの高揚は強いのではないか。飛行機はバックができない。まずは平べったい車に押されて駐機場を離れ、広いスペースに出ると自力でゆっくりと前に進みだす。滑走路までは結構な距離がある。しばらくごとごとと地上を進み、滑走路に到着すると軽く一旦停止する。エンジンの音が変わる。いよいよだなと思う。はじめはゆっくりと、しかし次第に加速をつけ、ある瞬間にきっぱりと陸地を離れる。やっと自由に動き始めたという気がして見ているだけで爽快な思いになるのだ。

 同じ飛行機を見るのでも、やはりジャンボジェットの方が断然迫力がある。機体が大きい分、はじめの進み方はよりのろのろとしたものに感じられるが、長く滑走路を走ってスピードを増していきやがて離陸する姿は、迫力と貫録、力強さも感じられるのだ。

 

 先日、ある人からより大きなものが動き出すときには時間がかかるものだと言われた。確かに大きなものを動かすにはそれ相応のエネルギーを必要とする。すぐに動くようなもの、すぐに変化するものは、ちょっとしたエネルギー・パワーしか使わない、お手軽なものだと言えるかもしれない。

 長い時間かけているのに状況が変わらず苦しい思いをすることがある。そんな時、報われない思い、虚しさ、自分自身への不信感、そういうものに襲われそうになるかもしれない。しかしジャンボジェットが飛び立つ時にはより長い滑走路を必要とするのだ。大きなものが動き出す時にはそれ相応の長い助走、飛び立つためのエネルギーをためることが必要になる。大きければ大きいほど、はじめはのろのろとしか動けない。ゆっくりと加速をしはじめたとしても、長く陸地を走らないと十分なエネルギーは得られない。しかし地上を走る時間が長ければ長いほど、パワーは増す。力強いエネルギーを得ることができる。より着実に遠くに進むことができるはずだ。

 

 いつかは自由に堂々と飛び立つことができるはず、自分なりに進むことができるはず、自分自身がジャンボジェットほどのパワーを持っているとは思わないが、それでもより長く旅をして、遠くの風景を見てみたいとは思う。より長く遠くへとゆっくりと地上を走り続けるのも悪くないなと思う。

 

 

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