受身的主体性

長谷川泰子

 

 

 主体性・積極性を高めるとなると、自分の思っていることを明確に自己主張することが重要だと考えられがちだ。自分の思っていることをはっきりと主張できることは確かに自我の強さの一つだろう。しかし、本当の自我の強さは更にそれを超えて、受身でいても自分を見失わない、受身でいられる強さが必要になると思う。

 たまたま檀渓相談室においてあった「宮本常一、アフリカとアジアを歩く」(岩波現代文庫)という本を手に取った。宮本常一の「忘れられた日本人」は西村洲衞男先生の愛読書の一つで、面接室には宮本常一の本が何冊か残っている。この本はその中の一冊で、宮本が晩年にアフリカやアジアの国々を旅した時の記録をまとめたものだ。はじめに1975年に東アフリカの国々(タンザニアやケニアなど)を44日間かけて旅した記録があり、現地でたまたま出会った人々との様々な交流が書かれている。アフリカ到着してすぐに知り合ったケニア人の家に招待され、食事をご馳走になったりもしている。

 この本の見開きにある説明には「民俗学者宮本常一は、生涯の4000日以上を旅で過し、その足跡で日本地図を塗りつぶしたと言われるほどの大旅行家だった」とある。本文の中には「私は日本国内を何回となくあるきまわった。多くの民家にもとめてもらった。しかしその間にただの一回ももう来るなと言われたこともなければ、叩き出されたこともない」という文章もあり、宮本が自分の好奇心、探求心の赴くまま、明確な予定や計画も持たずに日本国内を歩き回っていたことがうかがえる。

 アフリカの旅の記録で宮本が書いていることで、印象に残ったものがあった。必要に迫られ、仲間と別手段で移動しなければならなくなった時のことだ。今と違ってスマホがあるわけでもない。連絡手段がないままの別移動である。目的地に着いたが仲間は来ないままだ。言葉も分からない。知人の知人がこの辺りにいるはずだと何とかそこまで行くと本人はいない。しかしそこにいた人の知り合いで海外協力隊のメンバーとして現地に来ている日本人がいると分かり、その人が駆けつける。そこで何とか状況が開けてくる。「機会というのはいたるところにあり、また人々を待っているものだが、多くは気づかずに通りすぎてしまう。しかし私が少々迷ってこまったということで意外な明るい道がひらけてきた」と宮本は書いている。

 自分の方から積極的に動き強く主張するばかりでいると、勢いはあるが、自分が見えていること、分かっていること、意識していることだけしか見えず、機会・チャンスや偶然の出会い、背後に隠れる無意識的な動きが見えなくなってしまう。自分の主張・積極性を引っ込めて受け身的な態勢でいると、その場の状況・流れに身を任せ、それと一体化する動きが出てくる。こういう時にその場・その状況の力を強く引き出す何かが生まれてくるのではないか。宮本も困ったところ、積極的に動けなくなってきたところで明るい道がひらけてきたと言っている。

 もちろん完全に相手や状況に合わせてしまえば自分を見失い、その場の状況に呑まれ、他者の言いなりのロボットになってしまう。身を任せてもいい、受け身的になってもいい状況かどうか、どこまで流れに身を任せてもいいのかなどの主体的な選択・判断は重要で、そのためには強い自我、責任を負う力が必要になる。チャンスをチャンスにする、偶然の出来事を次に活かすためには積極的な関わりがなければならない。

 河合隼雄先生はしばしば待つことの重要性について語られておられたが、“待つ”ということも、場の力を引き寄せるための静かな努力だと思う。自己主張だけしかない主体性では、待つことが不安になり、自分だけで現状を片付けようとしてしまう。表面的には問題は解決するかもしれないが、狭い範囲の変化だ。なんとか踏ん張って、静かな努力を積み重ねながら待っていると、これだと思えるような何かが生まれてくる、見えてくるところがあるのではないかと思う。

 

 カウンセリングもいろいろな方向性があるが、檀渓心理相談室で行っているカウンセリングは、こんなふうに、静かな努力を重ねながら場の力・状況の力を引き寄せることができる自分を育てるようなものだと思っている。

 

 

 

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