「名古屋市に望むこと」というタイトルで保存されていた文章です。最終更新日は2019年8月13日となっています。内容を見ると、先日公開した「“先生”への手紙 名古屋について」のもとになった文章だと思われ、「名古屋市に望むこと」というタイトルが付けられているものの、それについては触れられておらず、未完のまま終わっています。
途中、変換ミスかと思われる部分がありますが、訂正せず、そのまま掲載します。
名古屋市に望むこと
愛知に来て五十年近く経って思うこと
名古屋に来る前は尼崎市に住み、勤めは京都の高島屋の裏にあって、北には大文字山、その向こうに比叡山が見えた。夕べには東山36峰上に登る満月を見ることができた。そこには歴史があった。長い歴史的文化を背後に持った京都の人々の心の問題を教育相談の話の内容から関西の家のしきたりも理解しなければならないと感じた。それ以上に京都でも地域によって格差があることを感じた。中京区と下京区でも違うし、京都駅の南と北でも違う。学問の世界でも、例えば心理学の私が古書店に入って仏教のこんなことが勉強したいのだと言ったらもう点でも相手にされなかったので仕方なく出てきた。ある学問のサロンがあってそこに毎回出ている保険会社の事務員さんがいたが、その方の話を聞くと、多くの人は医師や哲学者で抱いた英独仏はできるという。さらにその上ギリシャ語やラテン語が読める人たちサロンだった。無学のその女性が何故そのような会に入れるのかわからないが、とにかく格差の社会であることを感じた。ピンからキリまでの格差がいたるところにある社会、そういう複雑なところに住めない私はどこかに行けねばならないので、名古屋に仕事を見つけてきた
名古屋に来て驚いたのは住宅事情の良さであった。尼崎武庫之荘の団地に住んでいた時は2DKの公団住宅だった。公団住宅に入るには抽選に当たらねばならない。けれど、春日井市の高蔵寺ニュータウンが空いているというので役所に行くと藤山台団地の3DKどれでもどうぞということで簡単に決まった。私は毎日高蔵寺の駅から千種まで出てそこからバスで名市大病院に通った。電車は混むわけでもなく、50分、以前の半分の時間で通えたかたら幸せであった。