“先生”への手紙 名古屋について

 「名古屋について」というタイトルで保存されていた文章です。本文にも日付が入っており、最終更新日は2019年8月13日、西村先生ががんと宣告される半月前です。すでにこのころはかなり体調が悪く、食事もあまりのどを通らなかったと聞いています。

 「先生」宛の手紙となっていますが、おそらく内容から考えて「先生」は河合隼雄先生のことだと思われます。

 

 

 

 

2019/08/13

名古屋について

 

 先生に指導を受けて、大川を渡る夢を何度も見て外国留学のつもりで名古屋にやってきました。それから50年ほど経ちましたので、名古屋のことを先生に報告して自分が今いる場所を心に留めたいと思います。

 東京はビジネスの街、関西は文化の街、東海は技術の街です。技術の街ですから芸はありますが芸術は生まれにくい街です。何もかも合理的に考えます。

 名古屋は太平洋戦争で焦土と化し、名古屋城をはじめすべてなくなりました。都市を再建するにあたり名古屋市役所の担当者は将来を見据えた都市計画を考え、縦横に広い道路を作り、その道路路を根幹とした街づくりを考えたようです。そのために市内に沢山あった墓地を整理し、墓石を東の丘陵地に平和公園と八事霊園にまとめました。それと同時に墓石を持っていたお寺もなくしてしまったようです。ですから市内に古いお寺は少なく、平和公園にも八事霊園にもお寺はありません。正に墓石の墓場です。八事霊園はその隣に火葬場もありすごく合理的です。

 合理的な都市計画によってそれまで在ったほとんどの田舎町が無くなり、寺を中心とした人の住処が無くなったのです。この名古屋も浄土真宗の信仰が盛んな土地だったと思いますが、八事霊園で火葬した遺骨は京都の本願寺に納める人が多いように思います。

 山林を切り開いて作ったニュータウンのように、古い街をきれいさっぱりと拭い去って、そこにできたニュータウン、それが名古屋の街です。ニュータウンですから、特別なところ以外田舎の雰囲気が全くありません。周囲に高級住宅街のある東京の久が原や六本木の近くの麻布十番でさえ、田舎的です。久が原など駅にタクシー乗り場はありません。周囲には昔ながらの八百屋、鶏肉屋、米屋があります。昔の田舎町を感じることができます。麻布十番もフランス料理店の多い赤坂も町の作りは田舎的です。そういう田舎臭さが名古屋には、大須の商店街以外ほとんどないと言って良いかもしれません。

 しかし、名古屋の文化は京都で感じた古い文化よりもいっそう古い江戸時代的な文化を感じました。まだ、その地域の本家筋の長男の集まりの講が残っていました。冠婚葬祭は講で行われるので単身赴任の長男はその時帰省して礼を尽くさねばならないのです。私が住んでいる町の婦人会も古い地域の婦人会とニュータウンの婦人会と別れたことがありました。流れ者の集まりと古くから住んでいる人々の考えが違うのです。婦人会の会長さんが1年の任期を終わってから、私は田圃一反売ったと漏らされたそうです。あるスクールカウンセラーが今から10数年前ですからそう遠くない昔ですが、忘年会の二次会でお金を払ったことがないというのです。誰がそのお金を出しているか想像するしかありません。こんな古い文化が東山の八事霊園を越えた向こうにあったのです。しかしこういうことはおそらく朝日新聞や中日新聞の人も知らない世界です。街はニュータウンになっても古い文化は生き続けていました。

 ニュータウンの名古屋市には墓が無く、ご先祖様のたましいの住処がありません。たましいの住処のない街それが名古屋です。

 そのことを考えてからたましいの依り代を街のいたるところに植えてたましいの休息の場所にすることを考えました。

 それには伊勢神宮でたましいの依り代として使っている桧が一番ふさわしいと考えるようになりました。桧は木のもとに人々のたましいが出会うという意味です。また、法隆寺の建築にも使われているすぐれた木材で、一番日本的な人々がより集い、神々が集う依り代にふさわしい木ではないかと思います。杉の木の花粉同様、桧の花粉も問題視されていますが、杉の木の多いところは田舎で人々は自然と共に生きています。そういう人々は余り花粉症になりません。自然の少ない都会に花粉症の人が多いことを考えると、杉や桧にすべての責任を負わせることは合理的に見ておかしなことです。花粉症は冷暖房や衣服の発展によって都会の人々が季節の変化に適応できにくくなったことが大きな原因だと思うのです。私は花粉症対策よりも自然と接し、たましいの拠り所を取り戻すことによる住民の安心感の向上を100年の計画で考えるべきだと思うのです。

 桧の巨木を見ると途中から枝分かれしたり、下の枝が枯れたりしてこんもりした木は珍しいのです。下枝を切り、上だけをこんもりさせなければなりません。街路樹にしても下枝を切って家々を見渡せ、上がこんもり緑になります。そうすれば近代建築で灰色に覆われた街に緑が広がります。そうすれば名古屋のシンボル名古屋城も生えるのではないでしょうか。

 名古屋市内を流れる五条川は桜並木になっています。もう一つの川山崎川には依然珍しい木がいろいろ植わっていました。日本では植物園にしか見られないろうそくの木が石川橋の袂にありました。檀渓橋のあたりには合歓の大木もありましたが最近それらの大木も切っています。色々な木が自然の姿であるのが人の住む世界だと思います。人もいろいろあっていい。しかし技術の街名古屋には工場でロボットのように働く一様な人材が必要なのです。名古屋では人も車のためにあり街の木々も車のためにあると言っても過言ではありません。

 そんな合理性一点張りの街、たましいの代わりに技術者のたましいが作った車が走り回っている街、それが名古屋です。

 先生はたましいを大切になさっていたのでこのことをお伝えしておきたいと思います。千の風に乗って毎夜世界中を飛び回っていらっしゃる忙しい先生に届きますように。

 

 

 

 

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