スマホの中の幽霊

長谷川泰子

 

 小学生の頃、時々誰かが学校に心霊写真の本を持ってきた。心霊写真ばかりを集めた本で、写っている“霊”についての解説もあり、とても怖いがやはり見たい。誰かが持ってくるたびに人だかりができて、大人気だった。

 誰もがスマホを持ち歩き、何かあればすぐに簡単に写真となる。デジタルで色鮮やかな写真を画面で確認しながら何度でも撮影できるこの時代、もう心霊写真はないだろうなとずいぶん前に思ったことがある。

 心霊写真ではないが、先日、現代の怪談話をきいた。LINEで何人かでトークをしていると、いつの間にか知らない人が入り込んでトークに参加している、という他愛もないものだが、スマホの世界・デジタルの世界にもちゃんとおばけは入り込み、生き延びていくものなんだなぁ、と思って妙にうれしかった。

 おばけは平安時代からすでに“もののけ”として存在感を示し、しっかり活躍していたが、それから1000年以上たった現代でもきちんと生き延びているようだ。やはり私たちの心の中におばけ的なもの、おばけを求める気持ちがあるからこそ、社会の仕組みが変わりどれだけ発展を遂げようとも存在し続けているのではないだろうか。おばけは怨念・恨みなど、この世に思い残したことや成就できなかった・報われなかった思いなどがあるから成仏できずにこの世界に姿を現すとされているが、私たちの心の中にも、そういった報われず、成仏できないままの思いがあって、それが思わぬところで「恨めしや」とふらーっと現れ、この世の生活に影響を与えるのだろう。いくら世の中が変わろうと、こういった体験は誰の心の中にもあるのだ。

 カウンセリングはこうした心のおばけの正体をよく見て、おばけときちんと話をして、おばけの思いも理解し納得してもらったうえで、きちんと成仏してもらう、そんな場なのだとも考える。

 

 西村先生もおばけのことはあれこれ考えていたようだ。ブログにも「怨霊とDNA」というタイトルのものがある。ぜひ読んでください。

 

 

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