カーディガンの脱ぎ方

長谷川泰子

 

 友人がカーディガンをいつの間にか裏表反対に着ていて恥ずかしい思いをしたという。なぜそんなことになったのかというと「脱いだ時に裏表反対になり」それに気が付かないまま着ていたのだそうだ。彼女はいつもカーディガンをえいやっとそのまま脱ぎ、裏表反対になったひっくり返っている袖を後からもとに戻す。「めんどくさがりだから」こうなるのだと言う。

 私も自分は大のめんどくさがりだと思っているが、カーディガンの脱ぎ方は全く別である。めんどくさいことは嫌いだから、余計な事をやりたくない。だからこそ脱ぐときは後から裏返さなくてもいいように、袖の端を反対の手で持ち、それを引っ張って裏返しにならないように脱ぐ。同じめんどくさがりでも考え方・やり方は全く別になる。

 自分はずぼらだと思っている人の話を聞くと、まったくずぼらではなく、むしろちゃんとしすぎているぐらいちゃんとしていると思うことがある。むしろ掃除や片づけやなど、手を抜くことができない。ずぼらな部分があると思っているから、本当にずぼらなところが出てくると大変なことになってしまうと過度に気を使い、かえってずぼらとは真逆のところで生活していたりする。きれい好きだからこそかえってなかなか掃除ができないでいるという人もいる。適当に手を抜いて掃除することができない。やるなら全てきちんとやりたいと思う。しかし、きちんと・ちゃんという考えにしばられて掃除が過度におっくうになり、なかなか取り掛かれない。頭の中であれこれ考えているだけで疲れてしまう。きれい好きだからこそ、こだわりが強くなって気軽に手をつけられず、結局きれいとは真逆の空間で生活することになってしまう。

 めんどくさがり、といっても様々なやり方がある。ずぼら、きれい好きという人も実態は様々だ。よくよく話を聞いてみないと、内実は自分のイメージとは全く反対のものだったりもする。不登校、といってもひとりひとり違う。うつ、と言っても状態は個々で異なる。対応も別だ。表面のレッテルだけで安易に判断はできない。

 

 

 

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