「わたし」を支えるもの

長谷川泰子

 

 ホームページのトップに掲載されている写真を変えました。現在の檀渓心理相談室の玄関のレイアウト写真です。下駄箱の上のスペースを一種の箱庭に見立てて、箱庭の道具を使って飾り付けをしました。檀渓心理相談室は複数の箱庭があり、箱庭の道具も充実しています。せっかくなのでこれを利用したいと思いました。写真は2ヶ月前後で変更し、スタッフが順番に担当していく予定です。今回は私が担当しました。

 

 現在、西村先生のブログを移行中です。ご家族からお借りした先生のUSBの中から、旧ホームページには掲載されていなかった更に前のブログの文章が見つかり、それも掲載予定です(旧ブログの文章は全て日付順に掲載されるので、古いものはさかのぼってみていただく必要があります)。先生のブログで2012年に書かれたものに「箱庭は作るだけでいい 夢は見て記録し報告するだけでいい」というタイトルのものがありますが、最近改めて箱庭の力を実感するところがあって興味深く読み直しました。

 

 昨年5月頃から1人で箱庭を作り始めました。週1回の決まったペースで箱庭を作って写真に撮り続けました。どうしたらいいのか分からないような気持ちの時もとりあえず箱庭を作ってみようと思い、特に何も変化がないような時も同じようにとりあえず箱庭を作ってみようと思い、同じペースで繰り返し箱庭を作りました。明確な目的があったわけではありません。ただ、作ってみよう、続けてみよう、それだけでした。

  1人で作るだけで、誰かが自分の作ったものを「分析」してくれるわけではありません。箱庭を作ることで何かが劇的に変わるわけでもないです。しかし何もない砂の上に一つの世界を作り出すこと、その場で思いついたイメージをかたちにすること、その時の自分が納得できるもの・気持ちがおさまるものを作り上げること、それを繰り返すことで、普段は意識していないようなこころのどこか奥の部分が静かに動かされていったように思います。

普段から夢の記録は書いています。長年の習慣です。自分なりにどうしてこういう夢を見たのかと深く考えたりはしますが、教育分析を受けていない今は誰かが夢を分析してくれるわけではありません。

 とにかく箱庭を作り、いつものように夢の記録を取り続けました。それを半年以上続けた時、ふっとある方向性がこころの中にひとつのかたちとなって現れてきたような気がしました。こんな感じで生きていったらいいのではないかという、あいまいだけれどもはっきりしたイメージです。言葉で表現したり絵に描いたりできるようなクリアなものではありませんが、しかしだからといってそれがつかみどころがないぼんやりしたものかと言われるとそうでもないのです。意識のレベルでは「こんな感じ」としか言いようのないものだけれど、こころの深いところではそのイメージがいつの間にかしっかりと根付いていて、私を支えてくれているような感じです。今まで気が付かなかったけど、ひょっとしたら前からこんな感じは私の中にあったのかもしれないとも思いました。それが確かなものとして感じられるようになってきたとも思いました。

 何かきっかけがあったわけでもないし、自分を取り巻く状況が変わったわけでもありません。相変わらず先は見えないし、どうしたらいいか分からないようなこともいっぱいです。でも、深いところでそのイメージが私を静かに支えてくれているような感じがあります。

 

 2019年9月19日の西村先生のブログ「檀渓心理相談室をしばらくお休みします」の中に「ご自身で自分の問題を何とかしたい人は次のことを実行してください」「見た夢を毎日詳しく記録し、夢は自分に何を伝えようとしているか考えることです。夢は自分のたましいからのメッセージで、しかも、絶対的な直言だと思ってください。夢を記録しているだけでも、きっと良い出会いがあって、人生が拓けます」と書かれています。

 先生の言うように、箱庭を作ること、夢を見て記録すること、確かにそれだけでこころのどこかが動かされるようです。箱庭を作り続けて、改めて箱庭の力を知りました。